No.1891 死を受け止めるということ


仕事でお世話になっていたデザイナーの方が
昨晩亡くなった。

連絡を受けたのは今日の正午。
聞いた瞬間は、言葉が出なかった。

少し心を落ち着けてから、
他の関係者に訃報を知らせた。それが僕の役目だったから。
直接伝えたり、電話で伝えたり、メールで伝えたり。


心のどこかで、
聞いた人が涙を流す姿を
想像していたからかもしれない。

皆、聞いた瞬間は「えっ!?」と驚くものの、
「あー、そう、そんなにひどかったんだ」と
落ち着いた反応をするのが無性に悲しかった。

親族ではなく、
仕事のつながりだからそんなものなのか…。
気づけば、僕も涙を流していなかった。


人間なんて、
所詮はそんなものなのかもしれない。

涙を流さなかった人が悪人なのではなく、
生きている人間が死の悲しさを実感するなんて、
理想で描いた綺麗ごとなのかもしれない。

涙を流さなくては故人に悪い気がして、
在りし日の思い出を振り返った僕の方が
きっと自分を正当化しようとしている悪人なんだろう。

軽く自己嫌悪に陥りながら、
よく故人と一緒に語り合った会社のベランダで一人、
タバコを吹かした。


しばらくしてデスクに戻ると、
僕あてに電話がかかってきた。
うちの会社を辞めて、
今は主婦をしている女の子から。

メールを見て電話をしてきた彼女は、
電話の向こうで嗚咽を漏らすように泣き崩れていた。
受話器越しに声にならない声を聞いた瞬間、
思わず涙がこぼれた。


電話を切った後、
気を落ち着かせるためにもう一度ベランダに出た。
空を見上げると、黒い雲からしとしとと雨が落ちていた。

僕はなぜ泣いているんだろう。

ようやく死を実感したのか、
それとも、
死を悲しんでいる人がいてうれしかったのか。

彼女のように泣けなかった自分が悲しくて、
泣いたのか。


涙をこらえながらタバコを吹かしていたら、
落ち込んだ時にベランダで
故人からかけてもらった言葉を思い出した。



    「たかが仕事だろ?」



辛いことがあっても、くよくよ考えず、
楽しんでやる気持ちを大切にする人だった。

いつまでも泣いてはいられない。
命が残っている僕には、やることがあるから。



  「たかが死だろ?」



明日、告別式で故人に会えたら、
そう言って胸を張ってみせようと思う。