No.2367 「手作り弁当」のありがたさ

小学校の時はずっと給食だったけど、
中学校に入った途端、昼食は弁当になった。

弁当を持って行くのなんて遠足ぐらいだったから、
最初はなんとなくうれしかった。
きっと、クラスメイトも同じだっただろう。

でも、そこは思春期。

特に男子は、自分のオカンが作った弁当を
周りに見られるのが恥ずかしくて、
上ぶたで中身を隠しながら食ったり、
やたらと早食いしたりしていた。

だいたい、普段の日はクラスメイトと食べていたけど、
土曜日は午前で授業が終わり、午後から部活があったので、
野球部の連中と一緒にどこかの教室で
弁当を食うのがお決まりになっていた。

その中に、いつも菓子パンや
バナナを持ってくる奴がいてね。
食べ盛りの男子はみんな大きな弁当箱だったから、
いつもみんなで「なんでやねん!」とツッコんでいた。

ある時、そいつがツッコまれながら
苦笑いしているのが気になって、理由を聞いたらこう言った。

 「うち、オカンが朝から働いてて忙しいから、
  弁当作られへんねん」

それを聞いた瞬間、
バカ騒ぎしていた連中もシーンとなって。
大切なことに初めて気づいた気がした。

弁当は作る人がいてくれるから、食える。
それまで当たり前のように思っていたけれど、
それは決して当たり前ではなく、
感謝しなくてはいけないものだった。

その夕方、部活が終わってから家に帰り、
弁当箱をオカンに返した。

照れくさくて「ありがとう」とは言えなかったけれど、
ご飯一粒残さず、
いつもよりも弁当箱をピカピカにして。

その日以降、弁当のおかずが
少し豪華になったような気がした。