No.2516〜2518 おばあちゃんの他界


●今日のおはなし No.2516●

「急逝(きゅうせい)」という言葉がある。
文字どおり、人が急に亡くなること。

でも、この言葉自体が
当たり前のことなのかもしれない。
人が亡くなるのは、
いつだって急なものだから。

3月22日。
いつものように仕事をして、
昼飯を食っている時だった。

母親からメールで
「おばあちゃんが危篤」の連絡があったのは。

それから30分後には、
電話で「他界した」との連絡が…。
あっという間の出来事で、涙を流す暇すら無かった。

そこからは、もっと慌ただしくなった。
親と電話で何度もやりとりをしながら、
忌引きをするためにダッシュで仕事を片づける。

途中、気持ちを落ち着けるために
何度かベランダでタバコを吹かしながら、
おばあちゃんのことを想った。

真っ先に頭に浮かんだのは、
「後悔」の念だった。

中学卒業時、ちょうど今と同じ
3月下旬のことだった。

尊敬していたおじいちゃんが亡くなった時、
僕は高校合格の連絡を後回しにして
夜通し遊び呆けていた。

朝になって帰宅したら
おじいちゃんが危篤状態になっていて、
受験を応援してくれたお礼も、結果も、
連絡することができないまま永遠の別れとなった。

その時以来、心に誓って生きてきたはずだった。



 「一瞬一瞬を大切に生きなければいけない。
  人はいつ死ぬかわからないから、
  大切なことは後回しにしてはいけない」



でも、僕はまた
同じ過ちを繰り返してしまった気がしていた。

実は3月上旬、
家族と京都まで行く用事があって、
おばあちゃんの病院の近くを車で通ったことがあったのだ。

立ち寄ろうかとも思ったけれど、
意識も回復してきていたし、
子連れで見舞いに行くのも迷惑な気がしたから、
そのまま寄らずにいたのだ。

「また近いうちに、会いに行けばいい」と。

おばあちゃんが亡くなる10日前も、
母親にメールで状況を聞いていた。
おじいちゃんの命日が近づいてきていたこともあり、
なんとなく悪い予感がしていたから。

結果的に、その予感が当たってしまい、
おばあちゃんは、おじいちゃんと2日違いで他界した。

ベランダで後悔の念を抱きながらも、
遺された僕にはどうすることもできなかった。



 「大切な人は、
  生きているうちに大切にしなければいけない」。



改めてそれだけを胸に刻み、
大切な仲間に迷惑をかけないよう、
きちんと仕事を片づけてから急いで帰宅した。

            (明日へつづく)

 

●今日のおはなし No.2517●

(昨日の続き)

3月23日。

息子の幼稚園が終わった後、
家族を連れて葬儀会場である
京都(園部)に向かった。

通夜が始まる18:00よりも前に
到着すると、喪服に身を包んだ親父が
落ち着かない様子で僕を迎えてくれた。



 「おぉ、来たか。ご苦労やな。
  とりあえず、おばぁの顔見たれ」



荷物を下ろし、
息子と一緒に棺の前まで足を運ぶ。

上からのぞくと、
とても安らかな表情をした
おばあちゃんの顔が見えた。

あまりに可愛い表情で、
不思議と涙が出なかった。



 「よし、そしたら向こうの広間に座れ。
  今から段取りを説明する」



亡くなったおばあちゃんは父方の祖母で、
長男・次男・三男がいる。

うちの親父は次男で喪主ではないけれど、
他の二人が関東圏に住んでいることもあり、
生前の世話はもちろん、葬儀の準備も
実質的にすべて親父とオカンが仕切っていた。

長男夫婦が到着し、
ある程度親族が揃ったところで
親父とオカンからの全員への説明が開始。

死に至るまでのいきさつ、
葬儀前準備のこと、通夜の段取りのこと、
それぞれの役割などなど、
我が親ながら見事なスピードで話があった。

しばらくして、
30年ぶりに会う従兄弟や、
初めて会う従兄弟も遅れて合流。

遺族は悲しむ暇もないとはよく言ったもので、
慌ただしい雰囲気の中で通夜が始まり、
あっという間に終了した。

その後、親族でビールを飲みながら
軽食を食べていたら、また親父から号令が。



 「よし、今夜は長いぞ!
  カラオケ大会でもやるか」



成人してから他人の通夜しか経験していなかったので、
正直すっかり頭から飛んでいたんだけど、
そうだった。一晩中遺体に寄り添うのが「通夜」だった。

そこから、長い夜が始まった。
親族で交替しながら遺体に寄り添い、
残りの者は広間で語り合ったり、仮眠を取ったり。

皆、久しぶりに会うので
話すこともたくさんあったのか、
夜中までは全員眠ることもなく、
色々と“大人の話”がくり広げられた。

昔は聞かせてもらえなかった
親族同士の大人の話。
僕は黙って酒を飲みながら耳を傾けていた。



     「こういうのはな、本来、
      長男夫婦がやるべきやねんで」



   「すみません…。分かっていたんですけど、
    なかなか主人を説得できなくて…」



 「まぁまぁ、色々あるんやろうけど、
  これを機に自覚は持ってもらわなアカンわな」



酒の勢いに任せて
みんなから説教を受けていたのは、
もっぱら長男の奥さんだった。

それを聞いて、とても複雑な思いがした。

これまでの世話や準備を
ずっとやってきた親父とオカンの大変さもわかる。
でも、関東に住みながら
なかなか世話ができなかった長男夫婦の立場もわかる。

世話や介護には、
一定の自己犠牲がつきまとう。
だからこそ、みんなそれぞれに立場を主張する。
そこに、正解はない気がした。

ちょっと居心地が悪くなって
外にタバコを吸いに出たら、
三男の叔父さんが同じくタバコを吸いに来た。



   「なんやお前、タバコ吸うんか?」



 「ああ、吸うで」



三男の叔父は、身長も高く、
頭もパンチパーマで見た目はイカツイけれど、
昔から大人独特の「見栄」や「しきたり」とかの話が
嫌いなタイプで、子どもの僕たちとフィーリングが合う人だ。

一緒にタバコを吸うのは初めてだったけど、
三男の叔父となら違和感はなかった。



 「おっちゃん、原発勤務やったよな?」



   「おぅ、今は福島があんな状態やからな。
    ○○の原発で働いてるわ。
    お前、原発、どう思うよ?」



それからしばらく、
二人で原発について色々と語り合った。

「無くせたらいいかもしれないけど、
今の生活をしている日本人が
本当に電力を我慢できるのか」とか。
「日本人は豊かになり過ぎたよな」とか。

これから原発は、
東南アジアに進出するしかないこととか。

夜は長かった。

僕たちが日本の将来について語り合っている間、
広間ではまだ、親父の独演会が続いていた。

         (明日へつづく)

 

●今日のおはなし No.2518●

(昨日の続き)

3月24日。

通夜が明け、告別式当日。

時間が迫り、
従兄弟と一緒に受付をしていると、
ぽつぽつと弔問客がやってきた。



  「君、あれか?
   やっさん(=親父)のところの子か?」



 「あ、はい」



  「よぉー似てるからすぐに分かったわ。
   親父さん、色々世話とか大変やったな。
   でも、『息子がよくやってくれてる』って言うとったぞ」



 「そうですか。
  息子には何にも言わない親父なんで(笑)」



その後、何人かの弔問客から
同じように「やっさんの子かぁ?」と言われた。

なんとなくは分かっていたけれど、
親父は地元ではそこそこ名が知れた有名人らしい。
なんだかちょっと悔しかったけど、
その人脈の広さには感服せざるを得なかった。



13:00。

告別式が始まり、
葬儀場のスピーカーから
お坊さんのお経が流れてきた。

家族葬にもかかわらず
予想以上に人が集まって会場は一杯。

受付担当の僕は、結局告別式に
焼香ぐらいしか参加することができなかったけど、
スピーカーから流れるお経を聞きながら、
目をつむっておばあちゃんとの思い出を回想した。

やがて告別式が終わると、
会場から次々と弔問客が出てきて、
それに続き、親族も出てきた。

出棺準備までの時間を利用して、
弔問客を個別にまわる喪主の長男。

何かを噛みしめるように、
遠くを見つめて立ちすくむ三男。

二人とも大人として気丈に振る舞っていたけれど、
次男、うちの親父だけが
目を真っ赤にして泣きながら弔問客を回っていた。

そう、前日の通夜からそうだった。

なんだかんだ言って、
母親への愛情が一番強かったのだろう。

一番強がって仕切っているのも親父だったけど、
一番涙を流していたのも親父だった。

そんな親父を気遣ってか、
出棺前の喪主の挨拶では
長男がこんなことを言っていた。



   「本当に、私は名ばかりの長男でして…、
    母親の面倒は、ほとんど次男がやってくれました。
    千葉に住んでいるので毎日というわけにはいきませんが、
    これからは、私がしっかりと
    墓掃除などの世話をしていきたいと思います」



その言葉を聞いて、
親父がまたハンカチで目頭をおさえた。

しばらくすると出棺準備が整い、
弔問客に見送られながら
マイクロバスで火葬場へ。

約20年前、
おじいちゃんを見送った時と同じ場所だった。



  「では、最期のお別れです。
   皆さん、お顔を見て拝んであげてくださいね」



息子を抱きかかえながら、
一緒におばあちゃんの顔を見た。

通夜の時にお坊さんも言っていたけれど、
薄紅で化粧をしてもらったおばあちゃんの顔は、
まるで“少女”のようだった。

その瞬間、長男が喪主の挨拶で話していた
言葉が頭をよぎった。



   「私が高3、次男が高1、三男が中2の頃に、
    親父は他界しました。
    それから、母は女手一つで
    私たち3人の息子を育ててくれました。
    この度、母は他界しましたが、
    47年ぶりに親父と同じ墓で再会できて、
    うれしく思っているような気もします」



別れは悲しいけれど、
天国にもおばあちゃんを待っている人がいる。
そう思うと、涙は出なかった。

重い鉄の扉に鍵をかけて、
火葬場を後にする時、
親父が後ろを振り返りながら孫たちにこう言った。



  「おい、お前ら。
   あの煙をよぉ見とけよ。
   人間はな、最期はあぁなるんやぞ」



親族の前で涙を見せたくない親父の
精一杯の強がりだった。

煙突からは、
黒茶色の煙がもくもくと上がっていた。

幼い孫たちはまだよく分かっていなかったけれど、
雨の混じった空へと消えていく煙の行方を
じっと見守っていた。