No.1201 波照間島の「パイパティローマ伝説」

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この間、沖縄の八重山諸島に課せられていた
「人頭税」について話したけど、
ついでに思い出した話があるからしておこう。

名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれないけれど、
八重山諸島に波照間島(はてるまじま)という島があって、
そこで今も受け継がれている伝説の中に
「パイパティローマ伝説」というものがある。

パイは「南」、パティローマは「波照間」、
つまり、パイパティローマとは
波照間島の遙か南にある楽園のこと。

昔むかし、江戸時代のころ。
波照間島にも例にもれず、過酷な人頭税が課せられていた。
そこであまりの重税に苦しんだ人々は、
いつしか「パイパティローマに逃亡したい」と考えるように。
そしてある夜のこと、平田村という村の40名の村民は決意を固め、
みんなで一斉に船に乗って島を逃げ出したそうな。

この事実を知った琉球王府(だっけな?)は、
波照間島を監督していた役人を首里に呼びよせ、
事情を説明させた。
しかし、その役人は詳しい事情を何も説明できなかったため、
役人はクビに…。

ここまででそれなりに話としては興味深いんだけど、
実は話はまだ続く。

クビになった役人は、船で波照間島に帰ろうとしたが、
なんと途中で大嵐に巻き込まれて、船は転覆…。
しかし、転覆した船は幸運にも、
ある見知らぬ島になんとか漂流したそうな。

そこで偶然たどり着いた島が、なんと
あのパイパティローマだったのだ。
クビになった役人は、逃げ出した平田村の村民と再会し、
数日後、また波照間島に戻ったらしい。

「本当? あくまで伝説でしょ?」と言いたくなるが、
実はこの話、伝説ではないことが判明したそうだ。
江戸時代に琉球王府が記録していた「八重山島年来記」という書物に、
事実としてきちんと記載されていたんだとか。

ただ、パイパティローマがどこにあるのかは、
一つも記載されていなかったそうだ。
琉球大学の教授は、こう言ってた。
「その役人が、一切その存在について語らなかったからだ」と。

逃げ出した村民と再会した役人は、
どんな話をしたんだろう。
なぜ、パイパティローマの場所を誰にも言わなかったんだろう。

これについては、今でもいろんな説が飛び交っているけど、
僕は琉球大学の先生が話していた次の推測に、共感を覚えた。



 「本当は、役人も人頭税などさせたくなかったのではないか。
  ただ、自分が生きるために、
  村民に深く同情する気持ちを隠していたのではないか」



もしもその役人がパイパティローマの存在を詳しく話していれば、
逃げ出した村民は連れ戻されただろう。
しかし、役人はそれをしなかった。

人間は、見た目だけではわからない。
一見悪い人に見えても、心は違っていたりする。

みんなの周りにキライな人や苦手な人がいたら、
この話を思い出してほしい。
パイパティローマ伝説は、
八重山の人たちが僕たちに残してくれた、心の財産だから。