No.2931~2936 沖縄一人旅(竹富島~黒島~波照間島)

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●今日のおはなし No.2931●



 「ふぅ、さてと、行くか」



日曜日、朝4:30。

まだ夜も明けぬ暗闇の中、
重いリュックを背負って
家の近くのJRの駅に向かった。

始発の電車に乗り、神戸空港へ。
そこから直行便で石垣島へ飛ぶ。
ずっと楽しみにしていた八重山への旅。
早起きもまったく苦にならなかった。

日曜日の始発電車の中は、
意外にもそれなりに乗客でにぎわっていた。

釣竿を持ったおじさん、山ガールらしきお姉さん、
僕と同じようなバックパッカーの兄ちゃん、などなど、
「みんな朝早くから休日を楽しんでるんだねぇ」と感心した。

神戸空港に着いたのは7時前ごろ。
そこから手荷物検査を済ませると、
あっという間にフライトの時間がやってきた。

一昨年に頭痛に襲われて以来、
長らく飛行機に乗っていなかったから、
本当に久しぶりのフライトだ。

念のため、痛み止めの薬などを飲んだり、
ブリーズライトを鼻に張ったり、
万全の準備をしてから機内に乗り込んだ。

その甲斐もあってか、
フライト中は頭痛もなく快適だった。

飛行機の翼の向こうに見える青空を眺めていると、
色々なことが頭をよぎる。



 「なんだかんだで、5年ぶりぐらいかぁ」



前回、沖縄を訪れたのは
息子がまだ2歳の頃。
娘はまだ産まれていなかった。

それからは、出産や子育て、
家の購入、引っ越しなどなど、
イベントに追われていて沖縄が遠くなっていた。
仕事で沖縄出張のチャンスもあったけれど、
頭痛を理由に辞退していたし。

色々あった5年を振り返りながら、
だんだんと濃くなっていく海の色を楽しんだ。



石垣島空港に到着したのは、10:30ごろ。



 「おぉ、変わったね~」



空港内がめちゃくちゃきれいになっていて、
なんだか浦島太郎の気分になった。

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そこからは、路線バスで
離島フェリーターミナルをめざすことに。

路線バスは、
地元の人々の生活を感じられるから好きだ。

病院へ行くおばぁや、スーパーに買い物に行く家族、
南の国の日常に紛れ込むように
僕は静かにバスの車内での時間を楽しんだ。

昼前にフェリーターミナルに到着。
連休最終日の日曜ということもあってか、
これから本土に帰る様子の観光客と多くすれ違った。



 「すみません、フェリーパスを1枚、
  3日間、波照間付きで」



リュックを床に下ろし、
フェリー会社のカウンターでパスポートを購入。

3日間フェリー乗り放題、つまり、
これから3日間は島を巡り放題の権利を得たわけだ。



 「よっしゃ~、行くぜ!」



再びリュックを背負い、
テンションを上げながら
燦々と陽射しが降り注ぐ海のほうに向かった。





●今日のおはなし No.2932●

いざフェリーターミナルで
乗り放題のパスポートを購入したものの、
行き先はまだ決めていなかった。

その時の気分や天気によって
行き先を決めようと思っていたので。

八重山諸島へ向かうフェリーは、
決して大きいとは言えない高速船。
風が強くなり、少しでも波が高くなると
欠航する便もある。

「どうせ予定は狂うんだから、
予定を立てない旅の方が面白い」。
これは、何度か八重山の離島を訪れて学んだ教訓だった。



 「さてと、今日の波は、」



フェリー会社のカウンター前に掲示されてある
海の状況に関する掲示板をチェックすると、
これから数日の天候は「晴れ」。
波の高さも2m以内で、欠航の心配はなさそうだった。



 「よ~し、じゃあ、
  まずはウォーミングアップがてら竹富島に行くか」

竹富島は、過去に何度も訪れている大好きな島でもあり、
石垣島から一番近く(約6km)て、すぐに行ける島でもある。
5年間のブランク後の体ならしには、ちょうどいい。

石垣島から竹富島までフェリーで15分。
島に着くと、
すぐに自転車を借りてサイクリングに出発した。

春に訪れるのは初めてだったけど、
ペダルをこぐたびに
夏の蒸し暑い風とは違う
柔らかな風が体の脇をさーっとすり抜けていく。

う~ん、気持ちいい♪

時間も、予定も、何も気にしない、
一人旅の楽しさを徐々に実感してきた。

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そこからは、地図も見ずに
心の赴くままに島をぐるぐる。

竹富島は観光地化が随分と進んだせいもあり、
昔よりも観光客がかなり増えた気はしたけれど、
遠浅の海も、桟橋も、
赤瓦の民家も、花も、

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水牛車も、
そして、僕が一番好きな
世持御嶽(ユームチウタキ)あたりも、

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変わってほしくないものはまったく変わっていなかった。
ただ、1つのことを除いては。。。


島に着いてからずっと自転車をこぎまくっていたので、
日射病にならないように、集落の真ん中にある
休憩所でひと休みした時のことだ。

さんぴん茶を飲んで体の火照りを冷ましていると、
ふと、休憩所の柱に貼ってある紙が気になった。

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 「ん? あんな紙、前はなかったぞ?」



近くまで行って紙の内容をよく見ると、
それは、水牛車を運行する会社に対する
住民からの“苦情”だった。



 「えっ…、」



内容を見て、一瞬、我が目を疑った。
なぜなら、水牛車といえば
竹富島観光の看板的存在だったからだ。

昔は住民の皆さんからも



   「せっかく竹富島に来たんだから、
    水牛に乗っていきなさい」



とよく言われたものだ。
それが、なぜ…。

休憩所を後にし、しばらくペダルをこぐと
あちらこちらの民家の壁に
同じ苦情内容が書かれた大きな看板が立てられていた。

これまで、何より島の景観を重視してきた竹富島の住民が、
その景観を壊してまで
大量の反対看板を立てている。
その本気さを感じて、少し鳥肌が立った。

書かれていた内容は、簡単にいうと

 ●島の神聖な場所の近くに営業所を建てたこと

 ●それにより、不特定多数の観光客や
  水牛の悪臭で聖域が汚されること

についての苦情だ。

自転車を返す時に
レンタサイクルの店の人に事情を聞くと、
住民は、すべての水牛車運営会社に反対しているわけではなく、
ある会社のやり方に対してだけ、
猛烈に異議を唱えているとのことだった。

話を理解して、ごもっともな意見だと思った。
観光業を優先させて、島の伝統を壊すのは違う。
観光客として来ている自分の
肩身が狭くなっていくのを感じた。



 「自転車、ありがとうございました。
  何も知らずに島に来てしまって、すみません…」



   「いえいえ、なんだかすみませんね。
    島の恥ずかしいところをお見せしてしまったようで。
    看板とかいっぱいあったでしょ?
    見栄えも良くありませんしね」



 「いえ、勉強になりました。
  何人の観光客が意味を理解したかはわかりませんが、
  看板があったおかげで僕も知ることができたので。
  ありがとうございました」



そう言うと、
僕は重いリュックを背負いなおし、
車での送迎を辞退して、
自分の足で港まで歩いていくことにした。

なんとなく、
島の土地を踏みしめて帰りたい気分だったので。
港に着いた頃には、もう夕方になっていた。



夜。
一泊2000円ほどの素泊まり宿に泊まった。

こういう宿では、
見知らぬ宿泊客同士が仲良くなることもよくある。

僕も、たまたま意気投合した
60代のおじさん二人と仲良くなり、
ロビーで泡盛を飲み交わした。

東京と北海道、今は離れて暮らしているけれど、



   「学生時代からの親友同士で、今回は
    石垣島で合流することにしたんです」



というそのおじさんたちは、聞くところによると、
会社ではそこそこ偉いさんのようだったけど、
宿ではただの男友だちで。



  「バカヤロー、お前が悪いんだよ」



    「何言ってるんだよ。このドスケベ野郎(笑)」



と、学生時代と変わらぬノリでじゃれあう姿が
なんだかとてもかわいくて、
「いつか自分も歳を取っても
 こんな風にツレと旅行に来たいなぁ」と思った。

消灯後、
次の日からの島めぐりのために
早く寝ようと思ったけれど、あまりに部屋の壁が薄く、
隣のテレビの音がうるさくてなかなか眠れなかった。

でも、おかげで
翌日の行動予定がバッチリ立てられた。

明日は、あの島に行った後、あの島へ行く。




●今日のおはなし No.2933●


旅行2日目、AM7:30。

いつもなら通勤電車の駅に向かっている時間に、
僕はフェリーターミナルに向かって歩いていた。
8:00出発の便で「黒島」に向かうために。

黒島は、
ハートの形をした小さな島で、
別名「ハートアイランド」。

人よりも牛の方が多いという
事前情報は聞いていたけれど、
どれぐらいのどかな場所なのか一度見てみたかった。


朝一番の便を選んだのには理由があった。

1つは、午後からもう1つ行きたい島があったから。
もう1つは、“島の通勤”を体感したかったから。

僕らが毎朝電車に乗って会社に行くように、
この時間、たくさんの働く人々が高速船に乗って島へ向かう。
その通勤を一度味わってみたかったのだ。

元々マイナーな島だということもあるけれど、
案の定、朝一番の黒島行きのフェリーに
観光客はほとんどいなかった。

大半は、材木と弁当だけを持った現場作業員の男たち。
リュックを背負った私服の僕は、
完全に場違いな雰囲気を醸し出していた。

八重山のフェリー座席というのは、だいたい
「クッションのついたちゃんとしたシート」(前方)と
「クッションなどない硬いシート」(後方)に分かれている。

観光客はだいたい座り心地のいい「前方」に座り、
現地の人は、(観光客への配慮もあってか)
「後方」に座るのが暗黙のルールとなっている。

黒島行きのその船でも、
数名しかいない観光客は皆、前方へ行き、
現場作業員の男たちは皆、後方へ順に座っていった。


僕が選んだのは、もちろん「後方」だ。
場違いだろうが何だろうが、
現地の男たちの中に紛れてみたかったから。

最後方の窓側の席が空いていたので腰を下ろし、
ゆっくりと辺りを見渡すと、
作業員の男たちは皆、窓側に一人ずつ腰を下ろしていた。

前から若い者順に、
まるで、“自分の席”が決められているかのように。

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 「…待てよ。ということは、
  今俺が座っている最後方の窓側は
  もしかしたら一番偉い人の席なんじゃないか…」



ふと見ると、
コワモテの親方風のおじさんが
居心地悪そうに僕の隣に座っていた。

「やべ…」と思い、
空気を読んでさりげなく席を譲ったら、
親方はすぐに窓側の席に移動し、黙って居眠りを始めた。
やっぱり、VIP席だったのね…。失礼しました。

現場作業員の男たちの中に、
リュックを背負った観光客が一人。

我ながらあまりに場違いなシチュエーションが面白くて、
フェリーが出港してからも終始ニヤニヤが止まらなかった。

そこから、みるみるうちに港が遠くなり、
あっと言う間に大海原へ。

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朝日に映えた海はとてもきれいで、
作業員の皆さんと一緒に、
僕もずっと海を眺めながら到着までの時を過ごした。


30分後、黒島に到着。

島に着くと、作業員の皆さんは
それぞれの会社のトラックの荷台に乗って
どこかの現場へ行ってしまった。

港に残されたのは、僕一人。
ひとまず、港前で自転車を借りて島の探索を開始した。

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黒島は、噂どおり何もない素朴な島だった。
牛にはしょっちゅう会うけれど、人にはほとんど出会わない。

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誰の目も気にせず鼻歌を歌って
自転車をこいでいたら、妙な解放感に包まれた。

牛、牛、さとうぎび畑、牛、牛、牛、海、牛…。

あまりに人に会わないので
さすがに心寂しく感じていた時、
前方からゴミ収集車らしきトラックがやってきた。



 「おぉ!人だ!」



妙な感動を覚えながらトラックを眺めていたら、
そのトラックは、
なんともいえない優しいメロディを流しながら
時速15kmぐらいのスピードでコトコトと過ぎ去ってしまった。

あとで気がついたことだが、
トラックが流していたその曲は、
千と千尋の神隠しのテーマソング「いつでも何度でも」だった。
僕の中で、この曲が黒島のテーマソングに
なってしまったことは言う間でもない。

小一時間のサイクリングを終えた後、
黒島からフェリーで再び石垣島へ。

次第に日も高くなり、雲も晴れ、
フェリーターミナルに到着した頃には
空は快晴に変わっていた。



 「よーし、じゃあ、そろそろ次の島に行くか」



その前に、ターミナルビルの中の飲食店で早めの昼食。

03-24@11-19-27-390~2

腹ごしらえを終えてから、
今回のメインとなる
「波照間島」に向かうことにした。




●今日のおはなし No.2934●


次の目的地は「波照間島」。

予定は立てないと言っていたけれど、
「天候さえ良ければ絶対に波照間に行ってやろう」と
密かに企んでいた。

なぜなら、波照間島は「遠い」。

日本最南端で、
物理的に遠いという意味もあるけれど、
波照間島に向かうまでの海は流れが速く、かなり波も荒い。
そのため、少しでも天候が悪くなれば、
すぐにフェリーが欠航になってしまう。

僕も、過去何度か波照間島行きを企んできたけれど、
毎回、波の関係で欠航になってしまい、
ずっと「遠い島」のままだった。

ただ、今回は地元の人でさえ
「こんな晴天続きは珍しい」と言うぐらいの
ベストコンディションだったので、
「行くなら今しかない!」と思い、波照間島行きを決めた。


石垣島の港を出て、
竹富島を過ぎ、黒島を過ぎ、
船はどんどん大海原へ。

八重山諸島では西表島の存在感が絶大で、
どこの海や島にいても、
西表島の雄大さだけは目に入る。

ただ、その西表島さえかすむぐらい
フェリーはぐんぐん南へ進み、波の揺れも
ちょっとしたアトラクション程度に大きくなっていった。



 「いや~、いいね。海を越えてるって感じ♪」



僕は一人でご機嫌だったけど、
船内では数名、観光客が船酔いで吐いていた。

なるほど、遠い島に行くのはやっぱり大変なんだな…。
僕は海を眺めながら、
波照間島の「パイパティローマ伝説」を思い出した。


波がどんどん荒々しくなってきた頃、
船のエンジンが急に静かになった。

前方を見ると、小さな港が目に入った。
ついに来た、波照間島だ。

荒波を越えてきたからか、
港に着くと、それだけで妙な達成感があった。
「生きて陸に着いたぜ~」って感じで。

しばらく海を見つめた後、
早速、予約している宿の送迎車のところへ。



 「あぁ、Hさんですね?
  遠いところをようこそ。
  少しだけ車の中で待っていてもらえますか?
  ちょっと、今からお客さんのお送りがあって」



そういうと、宿の皆さんは
宿泊客と別れのハグを交わした後、

03-24@12-55-41-136

今から出発するフェリー、ではなく、
なぜか防波堤の先に向かって一目散に走っていった。



 「ん? あ、そっか、
  “アレ”をやるんだな(笑)」



離島ではよく見かける光景だが、
島の人はお別れの時、
防波堤のギリギリまで移動して
船が見えなくなるまで手を振ってくれる。

その宿の人も、
ずっと島を離れるフェリーに向かって手を振っていた。

僕は、車の中でその美しい光景を眺めているのが
もったいない気がして、
防波堤の近くまで行ってカメラのシャッターを押した。

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それから数分後。



   「ハァハァ、すみません! 大変お待たせしました!」



 「いえいえ、今日はよろしくお願いします」



   「はい、じゃあ、宿に向かいますね」



小さなバンの後部座席に乗って、宿へ。

ワクワクが抑えきれず、
部屋の中でリュックを下ろしてから
すぐに自転車を借りて散策に出かけることにした。

地図を持っていなかったので
どこに何があるのか分からなかったけれど、
とりあえず、最南端の場所をめざして、
南へ、南へとペダルをこいだ。




●今日のおはなし No.2935●


波照間島で借りた自転車は、
他の島のレンタサイクルとは違い、
ハンドル近くに
“ギア(段差切り替え)”がついていた。

最初は「なぜだろう?」と思ったけれど、
しばらく走ってみて、その理由が分かった。

波照間島は、海岸沿いが低く、
真ん中が高い台地上だから、
アップダウンが意外ときついのだ。

ただ、下りの時は
行く道の向こうに海が広がって、
とても気持ち良かった。

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しばらく走って、日本最南端の場所に到着。
なんてことのない石碑だったけど、
「日本の一番南を制覇した」という
妙な達成感を感じた。

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それよりも僕を感動させたのは、
そこから見える海の青さだ。

世界的にも美しいことで知られる
「ハテルマ・ブルー」を実際に目の当りにした時、
海は見慣れて育ったはずの僕も、
「おぉ~!」と熱いものがこみあげてきた。

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美しい海はた~くさん見てきたつもりだったけれど、
その海の色は深く、でも、とても澄んでいて、
これまでに見たことのない青さだった。

そこからは、
子ヤギと一緒にしばらく日陰で休んだ後、

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島を横断して北西の方向へ。

国内No.1、世界でも有数の海岸といわれる
「ニシ浜」をこの目で見に行くことにした。

この浜の美しさは、
筆舌に尽くしがたいものがある。
だからと言って写真でもうまくは
撮影できなかったけど、こんな感じ。

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コーラルブルーの海の色も素晴らしいけれど、
足下の白砂がめちゃくちゃきめ細やかで、
砂というよりは“小麦粉”のような感触だった。

また、すぐ近くに
さとうきびの製糖工場があるせいか、
海岸全体が甘~い香りに包まれていてね。
うっとりとした時間を過ごすには、
最高の場所だった。


午後から夢中になって自転車をこぎ続けて
いつのまにかクタクタになったので、
夕方、一旦宿に戻ることに。

表のベンチで一服しながら
体の火照りを冷ましていると、
東シナ海の方向に夕日が沈んでいくのが見えた。

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うまく言えないけれど、
しばらく時が止まった感じがした。


夕日を背中で感じながら
宿の食堂で夕食を食べている時、
あることに気づいた。



 「すみません、もしかして、
  今日泊まっているのって僕だけですか?」



   「ええ、実はそうなんです。
    さみしくてごめんなさいね」



波照間島の人気スポットである
「星空観測センター」が
たまたま閉館日だったこともあり、
宿泊客は僕一人のようだった。

そうであれば、宿で一人、
じっとしていても仕方ない。

波照間島は、
言うまでもなく天体観測のメッカ。
南十字星が見られることでも有名だ。

ということで、
日が完全に暮れるのを見計らってから、
カメラと三脚を持って星空散歩に出かけた。

波照間島の夜空は、本当に暗く、黒かった。
たぶん、空が黒いから
星があれだけきれいに見えるんだろう。

きっと、民家の光さえ入らない
南端の星空観測センターが開いていれば
もっときれいに見えたのかもしれないな。

少し残念な気もしたけれど、
「次回のお楽しみ」ということにして、
記念に何枚か星空を撮影した。

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暗闇の中を歩いて宿に戻る途中、
宿の近くにある公民館の方から
マイクを通してにぎやかな声が聞こえてきた。

どうやら、小学生の保護者の皆さんたちが
春から島を離れる先生の送別会を開いていたようで、
周りが暗闇だからか、
さっき見上げた星と同じように
公民館の蛍光灯がとても美しく見えた。

部屋に戻ってカメラを置いた後、
僕は表に出て一服しながら、目を閉じて、
公民館から流れてくるマイクの音に耳を澄ました。

保護者からのお別れの言葉。

先生からのお礼と感謝の言葉。

それに対する喝采と口笛。

にぎやかな送別ムードの中、
やがて先生を送るための
「お別れカラオケ大会」が始まった。

満点の星空の下、小さな島の
小さな公民館から笑いまじりに聞こえてくる
「♪フォーチュ~ンクッキー」は、
とても味わい深く、
とてもやさしいメロディだった。




●今日のおはなし No.2936●


午前6:00。
波照間島の朝は静かだった。

小鳥のさえずりを聞きながら
宿の食堂で朝食を食べ終える。
素朴だけど、やさしい味だ。

表に出ると、
宿のおばぁが掃き掃除をしていた。



 「おばあさん、おはようございます」



   「あぁ、どうも。おはようございます」



話しかけたその流れで、僕は、
あることをおばぁに聞こうと思ったけれど、
その笑顔を見てやっぱりやめた。

朝から、悲しいことを
思い出させたくはなかったから。

部屋に戻って荷物をまとめ、
フェリーまでの時間、
少し辺りを散策することに。

波照間島の集落は、
これまで行った島とは少しだけ風景が違う。
なんというか、各戸の石垣も
きれいに高さが揃っていて、
防風林までが美しい。

コンパクトだけど、
きちんとした形の集落が形成されていて
変に感心してしまった。

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ブラブラと歩いていると、
小学校の敷地の壁に
「星になったこどもたち」という
歌詞が書かれてあった。

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その歌詞をじっと読みながら、僕は、
さっきおばぁに聞けなかったことを
一生懸命感じ取ろうとしていた。

実は今回、黒島や波照間島を訪れる中で、
僕が詳しく知りたかったのは
この歌に書かれている「マラリア」についてだった。



太平洋戦争末期の1945年、
何度か空襲があったものの、
八重山諸島の人々は平和な日々を送っていたという。

そんなある日、波照間島に山下虎雄という
若い青年教師がやってきた。

島民にたいそう歓迎されたそうだが、
実はこの山下というのは偽名で、
彼の職業は教師ではなく、
陸軍学校出身の工作員だったのだ。

戦況が悪くなると、
山下は急に軍服姿で正体を現し、
波照間島の島民にこう言った。



  「米軍の波照間上陸から身を守るため、
   全員、西表島に疎開しろ!」



当時、すでに米軍は本島近くの
慶良間諸島まで上陸していて、
今さら波照間島にやって来ないことは明白だった。

しかも、疎開を命じられた当時の西表島南部は
マラリアに汚染されている地帯。
食料も家畜も置き、
薬を持たずに疎開をすることは
すなわち死を意味していた。

当然、住民は猛反対したが、
結局、波照間島民は力づくで疎開させられた。
ちなみに、島に残された家畜は
「米軍の食糧になるから」という理由で殺処分され、
後日、石垣島に輸送されて
日本軍の食糧にされたという。

波照間島の島民が西表島に疎開した後、
マラリア感染者が増え始め、死者も続出。
その惨状を見かねた波照間国民学校の校長が
直訴して帰島の許しを得たものの、
島に食糧はなかった。

その後、マラリア患者は急激に増え続けて、
結果、波照間島民約1600人のほぼ全員が
マラリアに感染し、
実に全島民の3分の1が病死したという。

また、同様の工作員による強制疎開は
波照間や黒島など八重山諸島全域で実施されたそうで、
戦時中、八重山諸島で亡くなった人の大半は
米軍との戦闘によるものではなく
日本軍の強制疎開とマラリア罹患によるものだったそうだ。

この悲しい歴史を忘れてはなるまいと、
国民学校の校長が刻んだ
「忘勿石(わすれないし)」が西表島にあるらしい。

昔に西表島を訪れた時、
僕はその石を見ていたのかもしれないけれど、
きちんと歴史を勉強していなかったのでわからなかった。

だから、今回は波照間島で
ちゃんと何かを感じて帰りたかったのだ。


でも、朝、
笑顔を浮かべるおばぁには聞けなかった。
当時、島民のほぼ全員がマラリアにかかったということは、
間違いなく、おばぁも悲しい体験をしているはずだから。

生き地獄であっただろう当時について
何と聞けば良いのか、僕にはわからなかった。

ただ、小学校の壁に書かれてあった歌を見て、
「忘勿石」に刻まれた想いのとおり、
今でもきちんと歴史が語り継がれていることをうれしく思った。



朝一の便で波照間島を離れ、再び石垣島へ。
1日ぶりに帰ってくる石垣島は、
とても都会に感じた。

飛行機出発までのわずかな時間を使って、
昔よく行った公設市場方面へ。

商店街のほとんどの店がお土産屋さんになっていたり、
きれいになっていたりで驚いたけど、
公設市場は昔と変わらず人間臭さが漂っていて、
なんだか少しほっとした。

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帰りの飛行機。

僕は、小さくなっていく島を見下ろしながら、
あっという間に過ぎた3日間を振り返っていた。

サラリーマンでもなければパパでもない、
自分の時間を夢中で過ごしたのは
本当に久しぶりだったように思う。

改めて、僕のわがままを
許してくれた家族に感謝した。


自宅に着いて夜空を見上げると、
なんだかとても明るく感じた。
波照間島のような黒さはそこにはない。
大阪の夜の空は灰色だ。

ただ、家の中には
一人で過ごす宿よりも温かい
家族の笑顔があった。



 「こっちにはこっちの、幸せがあるのかもな」



一人旅で気づいたものは、
一人じゃないという事実。

沖縄は本当に素敵だけど、
その素晴らしさを
本土で再現することだってできるのかもしれないな。

自分の中で少し整理がついた気がして、
翌日から、気持ちを切り替えて家族との時間を過ごした。

本当の意味で、
僕の新しい生活が始まった気がした。