No.3201 70回目の「沖縄慰霊の日」


日本の空は曇り空なのに、
沖縄だけ梅雨が明けているこの時期。

毎年、何とも言えない温度差を感じながら、
すっきりしない空気の中、
今日という日を迎える。

6月23日。沖縄慰霊の日。

かつて沖縄で繰り広げられた
日本で唯一の地上戦が終結してから、
今日で70年になる。

沖縄では大切な公休日でも、
本土では祝日でもなんでもない
ありふれた平日。

日本のために犠牲になった多くの魂は、
ほとんどの日本人に忘れられたまま密林の土に眠り、
瑠璃色の波間を孤独に彷徨う。


僕は沖縄の人間でもなければ
70年前に生きていたわけでもない。
だから、痛みなんて空想でしかないんだよ。

それでも、想うことはできる。

今日の日がやって来ると、必ず
沖縄出身の歌手Coccoさんが書いた言葉を読み返す。
(以下、Cocco「想い事。」より引用)


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  「6月23日、黙祷」


 桜が散って、ツツジが終り、
 デイゴが落ちたら梅雨が来て、
 夏に向かって雲が走り出す
 慰霊の日がまたやって来る。

 私がバレリーナを夢見て
 沖縄を飛び出した95年、
 糸満市に、戦没者の霊を慰める
 “平和の礎”が建設された。

 1931年の満州事変からの
 10年戦争を含む、
 1945年終決の太平洋戦争までの
 戦没者の名前が刻まれた石が
 所狭しと並ぶ
 平和のテーマパークだ。

 当時、輝かしい未来を夢見て
 舟を漕ぎ出した若者が
 そんな場所に
 心惹かれるはずがなかった。

 アメリカを否定しながら
 アメリカに憧れる大人達にも
 気付いていた。

 ひめゆりの塔にも
 島中に残るガマ(防空壕)にも
 ありきたりな平和への祈りにも
 もう、お腹は一杯だった。


 あれから12年。

 そんな私にも
 平和の礎を訪れる日がきた。

 観光バスが連なる入口では
 おばぁたちが待ち構えていて
 供え物の花を売りつけてくる。

 私は花を買わなかった。
 私は観光客じゃない。

 平和のモニュメントに
 観光立県沖縄なんか
 見たくなかった。

 野に咲く花を摘むことが
 許されないぐらい
 完璧に整備された施設内で、
 今も増え続ける戦没者の名前を
 見て歩いた。

 過去を忘れず、未来へ生かす為に
 私達はきっとこういう場所を
 求めるのだと想う。

 実際、忘れてはいけない事は
 山ほどある。

 でも、その残酷な事実と
 向かい合わせに座らされたまま
 何一つ止められやしない。

 それなのに私達は
 生きていかなきゃならない。

 悲しいニュースに胸を痛めて
 不可抗力な出来事に絶望して、
 それでも私達は
 行かなければならない。

 平和の礎に刻まれた名前を
 全て読み終えられる日と、
 世界中から戦争が無くなる日と、
 どちらが先だろう。

 おびただしい数なんだよ。
 そこに並ぶ名前たちは
 果てしない数なんだ。

 毎年、新たに加えられる
 戦没者のための余白が
 もう準備されてる。
 終りが無い。

 のんきに歌なんか歌って
 私に何ができたっていうんだ。

 愛の歌を歌って
 世界平和が叶うなら
 いくらだって歌ってやる。

 あからさまな平和主義者なんて
 夢見がちな馬鹿野郎だと想ってた。

 例えば、ジョン・レノン。

 ごめんね。
 世界は未だ変わっちゃいない。

 “Imagine”なんて
 中学生でとっくに習ったのに。
 あなたに見せられる
 立派な現実なんてどこにも無い。

 こんな情けない時にも
 歌は生まれ来るんだから
 歌うたいなんて所詮バカだ。

 終りの無い歌。

 馬鹿は馬鹿なりに
 それを承知で
 今日も歌を歌う。

 人はまだ、祈るんだ。


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沖縄のことをたくさん憂いながらも、
結局はまだ
何一つたいしたことをできていない。

所詮は僕も大馬鹿者だ。

それでも、こうして想いは書くよ。
書き続けるよ。
少しでも多くの人に届くように。

祈りの声は、
神様がいる天に向けて発するものじゃない。
すぐ隣にいる人、
そばにいる人に向けて発し続けよう。

みんながそうすれば何かが変わる。きっと。

今すぐ何かができなくても、
僕らはこの場所で、一生懸命、祈るんだ。