No.4453 中年になって思うこと

若者でもなく老人でもない、
ちょうど真ん中の世代になったからこそ
初めて耳を傾けてもらえるようなこともある。
 
どれだけいいことを言っていても、
どうしても若い頃は「たかが若造の意見」などと
一蹴されてしまうことが多かった。
 
実際、人生10年20年程度の経験や知見では
世の中の正解を言い当てることは難しかったなと今は思う。
 
それが、40年50年ぐらいになってくると、
周りの見方が明らかに変わる。
 
自分より若い連中は、
「自分の知らないことを知っている人」のような
見上げ方をしてくるし、年配者たちは
「ようやくお前もその域に達したか」のような
ウェルカムモードに変わってくる。
 
なるほど中年というのは、
This isサイコーにちょうどいい世代なのかもしれない。
 
それでも、そんな世の中の感じを
遠くからどこか冷めた目で見ている自分もいる。
 
だってさ、見かけの年齢が増えただけだよ。
正直、自分の中では何も変わっちゃいない。
 
もちろん、経験値は増えてきたかもしれないけど、
昔より賢くなったか、
人間として幅が出たかと問われれば
「さぁ、どうだろう?」と答える。
 
子どもの頃に見上げていた中年世代というのは、
大人も大人、なんだか別世界の人間で、
みんなそれなりに賢く、理性があるように思えた。
 
実際に自分がなってみると、
まったくそうじゃないよね。
自分自身も含めて、中身はガキのママだ。
 
僕はよく「17歳から成長していない」という
表現を使うけど、
本当にそんな感覚なのである。
 
大人ぶって生活はしているものの、
感性や感覚はさほど変わってはいない。
 
同年代の仲間を見てもそう、
お互い服装や世間体はまともになっていても
いざ話し始めたら、放課後に教室の隅で
騒いでいたような話題ばかりだ。
 
世間的にそれが良いことか
悪いことかは分からないけど、
僕は感性を大切にしたかったから、
それでいいかなと思っている。
 
夢見がちなピーターパンにとって
リアルな大人の世界は不思議なことだらけだけど、
そんな大人たちだって
大半は「大人になりきれない子どもたち」だ。
 
そう思うと、色々笑えてくるんだよ。
「何を真面目に仕事の話してるんだよ」とか。
 
これからの時代を担う若者である息子や娘には、
今僕が感じている中年の感覚を
早めに話してやりたいなと思う。
 
「大人なんて所詮はその程度のものだから、
 大きくなることを怖がるな」と。
 
見かけは老けていたとしても、
意思とは関係なく体だけ大きくなってしまった
フランケンシュタインのようなものだからね。
 
成長していない大人は
「木がある」「川がある」のように
見えているものしか話せず迷子になる。
 
本当に頭のいい大人は、
見えていないものも含めて
自分が今どこにいるのかを
きちんと言葉で説明できる。
 
そのあたりの真理も、
早いうちから教えてやろうと思う。