No.1101〜1106 はじめての「骨折」日記(入院〜手術〜退院)

●今日のおはなし No.1101●
 
 
 
 「ああ、完全に折れてますね。
  手術と入院が必要ですが、どうされます?」
 
 
 
薄暗いレントゲン室で仰向けに寝かされたまま、
突然投げかけられたその言葉に、しばし言葉を失った。
 
 
 
   「…え? 骨折? 手術ですか?」
 
 
 
 「ええ、右腕が螺旋状に折れています。
  放っておくと神経を傷めて後遺症が残るので。
  どうします? うちに入院されるなら今すぐ準備しますし、
  少しでも自宅に近い病院を探されるようなら、
  紹介状を書きますが」
 
 
 
これまで生きてきて、
骨を折ったことも、手術をしたことも、
入院したこともなかった。

それらが一気に目の前に現実として差し出された瞬間、
僕は正直どうしていいかわからなくなった。

痛む右腕を左手で抱えながら、
診察室でレントゲン写真を見ると、
絵に描いたように腕がまっ二つに折れていた。
いや、折れていたというよりも、
まるで引き裂かれたかのように。
 
 
 
 「上腕骨骨幹部骨折、別名 投球骨折とも言いましてね、
  プロ野球のピッチャーとかが投球時に何度も
  腕を捻る動作を繰り返した場合、たまにこうして
  骨が負荷に耐えきれずに螺旋状に折れるんですよ」
 
 
 
心あたりは…、もちろんあった。
月イチぐらいでやっている草野球チームで、
去年ぐらいからピッチャーをやっていたから。

最近よく、ヒジの後ろが痛むことがあったけど、
たぶん、骨折の前兆だったのだ。
 
 
 
 「今日は土曜日ですので、うちで手術をするにしても
  早くて来週の金曜日になります。
  ずっとその状態で待つのも辛いでしょうし、
  他の病院を探されますか?」
 
 
 
   「あ、はい。そうします…」
 
 
 
嫁に車で乗せてもらって帰る間、
いろんなことが頭をよぎった。

仕事はどうなるんだろう? 生活は?
野球生命は? 後遺症が残ったら…。

膨らむ想像に比例するかのように、
どんどん腫れて大きくなっていく右腕。
肩より先の感覚はほとんどない。

三角巾で吊っているだけの腕は、ずっしりと重く、
まるで自分の体ではない別の物体に感じた。

「すまんな、迷惑かけるわ」と僕。
ハンドルをきりながら
「ま、とりあえずゆっくりしたら」と嫁。

こうして、僕の初めての骨折生活が始まった。
3月12日。雪がちらつく寒い日だった。

      (つづく)

 

●今日のおはなし No.1102●

少し体を傾けただけで、脳天を突き抜ける激痛。
立つこと、歩くことはもちろん、
じっと座っていても顔をゆがめるほどの痛みが襲ってくる。
 
 
 
 「今日は土曜日。病院が開くのは月曜日…。
  少なくともあと24時間以上は、このまま自宅待機か…」
 
 
 
自宅に着いたあと、
時の流れがものすごく遅く感じた。

いろんなことがありすぎて疲れていたから、
早く眠りたかったけれど、
横になろうとすると腕らしき物体が重力のままに
体の右へ左へとズレて、冷や汗が出るほど激しい痛みが襲う。

食べること、寝ること、歯を磨くこと、お菓子の袋をあけること、
日常生活のなかで何気なく行ってきたことが
何ひとつ一人でできなくなった現実を知り、
さすがの僕も少しへこんだ。

そんな時、
 
 
 
   「要介護度5やな、でっかい赤ちゃんや」
 
 
 
と、嫁が笑って茶を入れてくれた。

…、そうか、そうやな。
初めて気づいた。
一人で何もできなくても、助けてくれる人がいる有り難さを。
ちょっとじーんとしながら、黙って茶をすする。
 
 
 
 「とりあえず、早く治そう」
 
 
 
日曜日。

余計な不安をなくして治療に専念するために、
パソコンで病院を探し、会社の上司に電話をし、
遅いとはわかっていながら牛乳をガブ飲み。

夜、嫁と相談した結果、
実家の親には、ちゃんとした手術日が決まるまで
内緒にしておくことに決めた。

と、その瞬間。自宅の電話が鳴った。

虫の知らせとはおそろしいものだ。
嫁の口調がやたらと丁寧に変わってすぐわかったが、
電話の主はオカンだった。
「春の便り(いかなごのくぎ煮)を宅急便で送ったよ」と。

嫁が骨折の件をオカンに打ち明けると、
数分後、僕に電話がまわってきた。
 
 
 
 「もしもし、」
 
 
 
   「なぁーにやってんのよアンタ(笑)。
    奥さんに迷惑かけて」
 
 
 
 「しゃーないがな、突然折れてんから」
 
 
 
   「そやかてアンタ、プロ野球選手ならまだしも、
    普通の人がするような骨折やないでぇ(笑)。
    野球もほどほどにしとかな。
    もう30歳やろ? 若くないんやからな」
 
 
 
いい歳こいて相変わらず何かをしでかす
バカ息子に対する呆れからか、
オカンの声は終始笑い声だった。

再度嫁に電話をかわった後も、
「すんませんねー、アホなことばっかりして」という
オカンの声が受話器から漏れ聞こえてくる。

電話を切った後、笑顔で
「もう若くないんやからー」と茶化してくる嫁。
ったく、オカンといい、嫁といい。

あとで気づいたことだが、この瞬間、
僕は怪我をしてからはじめて笑っていた。

        (つづく)

 

●今日のおはなし No.1103●

火曜日。
隣の区にあるM病院という病院に入院した。

特にこの病院を選んだ理由などなかった。

月曜に「ベッドの数が足りない」という理由で
病院を数件はしごすることになり、
どうしようと不安に思っていた時、
「怪我の具合から見て他の患者より優先度が高いから、
なんとか水曜日に手術できるようにしましょう」と
言ってくれた病院がここだけだったのだ。

期待はしていなかったが、この前建て替えたばかりのきれいな所で、
しかも、「他に空いてなかったから」という理由で、
病室は「個室」を一般料金で使えることに。

不幸中の幸いとはこのことだ。
テレビの影響からか、昔から個室で窓の外の枯れ葉を眺める
入院スタイルに憧れていた僕には、この上ないプレゼントだった。

18:00頃、初めての病院食。
ビーフシチューやロールパン、
骨折した僕へのあてつけのように、
しっかりと牛乳もついていて、
想像していたよりも豪華だった。
 
 
 
 「しっかり食べときや。明日は手術やから、
  しばらくご飯も水も胃に入れられへんで」
 
 
 
嫁に言われるまですっかり忘れかけていたが、
次の日は手術だった。

面会時間を過ぎて嫁が帰ったあと、
僕は真っ暗な部屋でテレビをつけ、
ベッドにもたれながらぼーっと窓の外を見つめていた。
 
 
 
   「…手術、手術かぁ」
 
 
 
医者というのは、たいてい最悪の場合を説明する。

僕も昼に、その最悪のケースを聞いていた。
「指の神経が一生麻痺する可能性があります」と。

いろんなことを考えながら、しばらくセンチな思いにふける。
窓の向こうに枯れ葉はなかったけれど、
やたらと澄んだ夜空が見えた。

と、その時、テレビのお天気キャスターがこう言った。
 
 
 
  「明日は気温も上がり、
   まさに“春”といった陽気になるでしょう♪」
 
 
 
そっか、明日は小春日和か。

理由はないけど、なんとなく手術がうまく行くような気がして、
その夜は窓のカーテンを開けたままぐっすり眠った。

       (つづく)

 

●今日のおはなし No.1104●

水曜日。手術当日。

目覚めてからすぐ、手術前の点滴を打たれまくり、
ベッドの上で看護士さんに監禁されていると、
嫁が部屋に入ってきた。
 
 
 
 「おはようさん。昨日の晩、お母さんから電話あって、
  やっぱり今日お見舞いに来てくれるみたいやで」
 
 
 
   「はぁ? 来んでエエって言うたやん」
 
 
 
 「なんか、広島に出張中のお父さんが、
  『行ってこい!』って言わはったみたいやで。
  なんだかんだ言って、お父さんも心配してはるねんって」
 
 
 
   「…ったく!」
 
 
 
子どもの頃からそうなのだが、
僕は音楽会や運動会など、「ここ一番」という時に
親に来られるのが一番苦手だった。

集中して何かをやりたい時、
親の視線を意識しなければならないハンディがたまらなくイヤで、
親に催しの日時を教えなかったこともある。
(近所のおばちゃんの情報網ですぐバレたが)
よりによって、初めての全身麻酔手術を前に
緊張している時に来なくてもいいのに。

思わずムカッとしたから、
きっと隣で血圧を測っていた看護士さんは、
僕の血流が激しく流れ出したことに驚いていただろう。

手術の予定時刻の数分前、
予告どおりオカンがやってきた。
 
 
 
  「あーら間に合ったわー。
   え? 今から? がんばりやー」
 
 
 
   「がんばるも何も、麻酔で眠るだけや」
 
 
 
数分後、看護師が数人やってきて
僕のベッドを動かし始めると、
さっきまでの談笑ムードが一気に静まった。
いよいよだ。

もう少し緊張する自分を想像していたが、
手術室まで移動するベッドの中では、
「うわ、なんか救命病棟とかのドラマみたい」と
ワクワクする余裕があった。
 
 
 
 「泣かんときや」
 
 
 
   「大丈夫や。ほな、行ってくるわ」
 
 
 
嫁に別れを告げ、いざ手術室へ。

重そうな扉が閉まった瞬間、
手術台を取り囲むように医者が何人も立っているのが見えて、
ようやく緊張してきた。いよいよ…。

解体前のマグロのようにゴロンと手術台に寝かされると、
段取りよく、助手らしき女性が僕の口に吸引マスクをあてた。
 
 
 
 「はい、酸素ですよー。
  しっかり吸ってくださいねー」
 
 
 
直感的に思った。

   「…ウソだ。絶対酸素なんかじゃねー。
    この異臭、これは…これは…、、、麻酔薬…。
    こっ…この野郎ぉ、だますなんて…卑怯…だ…ぞ…」
 
 
 
 
 
その瞬間から、僕には一切の記憶がない。
こうして意識を奪われたまま、長い手術が始まった。
 
       (つづく)

 

●今日のおはなし No.1105●
 
 
 
 「Hさーん、Hさーん、
  手術無事終わりましたよー」
 
 
 
もうろうとする意識の中で、
どこからか看護師さんの声が聞こえ、
うっすらと瞼を開けると、
病室の白い天井がぼんやりと見えてきた。
 
 
 
 「おはようさん。よー寝てたな」
 
 
 
少し首を起こして見回すと、
嫁とオカンがいるのがなんとなく分かった。
 
 
 
   「え? 終わったんや?」
 
 
 
 「終わったよ。気分はどう?」
 
 
 
   「大丈夫や。…、ん?」
 
 
 
少し意識が戻ってくると、体の異変に気づいた。
 
 
 
   「うわーっ、なんじゃこりゃ…」
 
 
 
なんと、体のいろんな場所に管が差し込まれているではないか。
下品な話だが、尿道にも…。
 
 
 
 「どうしたん?」
 
 
 
   「ちょ、ちょっと…、
    これ、どういうことなん?」
 
 
 
 「麻酔で膀胱が緩むからやろ。外してほしいん?」
 
 
 
   「…うん、マジで頼むわ」
 
 
 
軽いショックだった。
嫁に頼み、恥ずかしさをおさえながら看護師さんに管を抜いてもらうと、
経験したことのないような激痛が…。
この時はじめて、手術とは“痛い”ものだと実感した。
 
 
 
 「そうそう、手術中にお姉ちゃんからメールが来てたで」
 
 
 
   「なんて?」
 
 
 
 「お父さんが『手術はうまくいったのか?』と
  何度も電話してきたから
  落ち着いたら電話してあげて、って」
 
 
 
そうか。
うちのオカンは携帯電話を持っていないから、
親父からオカンに連絡はとれない。

だからと言って、神奈川に住む姉キに
電話しまくっても仕方ないだろうに。

とりあえず、オカンに頼んで
公衆電話から親父に連絡を入れてもらうことにした。

意識もはっきりしてきて、
体を起こしてベッドにもたれていると、
ドアをノックして主治医の先生がやってきた。
 
 
 
 「お疲れさんでしたねー。
  まー、手術は思ったよりもうまくいったと思いますよ。
  今はまだ右手の神経がしびれてると思いますけど、
  落ち着いてリハビリしていけば大丈夫でしょう」
 
 
 
その夜。なかなか眠れなかった。

麻酔で眠りすぎたせいもあるけど、
尿道が痛くておしっこが出来なかったり、
少し手術の傷口が痛んだりして。
消灯時間を過ぎても暗い部屋でずっとテレビを見ていた。

その時である。
 
 
 
 「すぅみませぇーん」
 
 
 
個室であるはずの部屋の入り口に、
なぜか車椅子に座った
見知らぬお婆が侵入していたのだ。

真夜中の突然の侵入者に、
思わず腰を抜かしそうになる僕。
 
 
 
   「えっ…、ど、どちらさんですか?」
 
 
 
 「わーたーしーは、
  A区の御手洗(みたらい)と申ーしますぅ。
  助けぇてくぅださーい」
 
 
 
   「…え? 何を…ですか?」
 
 
 
 「おうちに帰りぃたいんですぅけどー、
   道がーわからーないんですぅ」
 
 
 
御手洗と名乗るそのお婆ちゃんは、
車椅子に乗ったまま、僕を見上げて必死に訴えていた。

どうしていいのか分からず、とりあえず
ナースステーションまでお婆ちゃんを連れていってあげると、
看護師さんが少し困った顔で出てきた。
 
 
 
 「Hさん、すみませんねー。
  御手洗さん! 足を治さないとおうちには帰れないって
  何度言ったらわかるんですか。もう、寝ましょうね」
 
 
 
看護師さんに車椅子を押されながら、
病棟の廊下の向こうへ消えていく御手洗さんの姿を見て、
少しせつなくなった。

後で聞いた話によると、
御手洗さんは病棟の中でも有名人らしく、
いつもこうして誰かに救いを求めてやってくるらしい。

その時はそんなことなど知らなかったが、
「おうちに帰りたい」、
そんな御手洗さんの言葉が、
動かない右腕をぶらさげた僕の胸にやけに深く響いた。

       (つづく)

 

●今日のおはなし No.1106●

手術の2日後。僕は病院を退院した。

退院といっても、
「回復したからもう大丈夫」というものではなく、
「急患で病院のベッドが足りないから、
歩ける患者は自宅のベッドで安静にしてもらう」というもの。

僕もそのあまりの早さに驚いたが、
主治医から知らせを聞いた看護士さんたちも
「え? もう退院ですか?」と驚いてるのが面白かった。

嫁に車で迎えに来てもらい、
「お世話になりました」と言い残して病院を後に。
車の窓を開け、久しぶりに外の空気を吸うと心地よかった。

数日ぶりに自宅に戻り、嫁の手料理を口にする。
病院食も悪くなかったが、やっぱり家で食う飯が一番だ。

その時、ふと病棟で会った
御手洗さんの言葉が頭をよぎった。
 
 
 
   おうちに帰りたい
 
 
 
そうだよな。
たぶん、こうして家で暮らせる僕は幸せなほうなんだ。

その夜。親父から家に電話がかかってきた。
僕ではなく、嫁あてに。
受話器から漏れる親父の声に少し耳を傾ける。
 
 
 
 「すみませんねぇ。ご迷惑をかけて」
 
 
 
  「いえいえ、本人に代わりましょうか?」
 
 
 
 「え? いや、よろしいわ。
  とりあえずお礼で電話しただけやから」
 
 
 
  「まぁまぁ、そう言わずに(笑)」
 
 
 
半笑いで受話器を僕に渡す嫁。
こいつ、僕が親父を苦手にしているのを知っての確信犯だ。
仕方なく受話器を受け取る。
 
 
 
   「もしもし」
 
 
 
 「おー、S史か。あれや、その、なんや、
  しっかりウォーミングアップしてから投げぇ」
 
 
 
   「はいよ」
 
 
 
 「ほなな。はいはい。(ガチャ)ツー、ツー、ツー」
 
 
 
一瞬で終わった親子の会話を聞いて、
隣で嫁が呆れて笑う。
 
 
 
  「ほんま、どっちもどっちやな。この親子は(笑)」
 
 
 
なんだかんだといろいろあったが、
その日から、自宅での療養生活が始まった。
今もまだ続いているけれど、
不思議と以前までの悲壮感は感じていない。

仕事を休まなきゃならないのは本意ではなかったけれど、
朝、昼、夜、嫁と一緒に食卓で飯を食うなんて
これまでなかったから、それはそれで楽しい。

よくよく思えば、結婚後、
平日のほとんどの時間を僕は仕事にとられてきた。
髪を洗ってもらったり、服を着せてもらったり、
なにかと介護をしてもらうことが増えたことで、
夫婦で一緒に楽しむ時間が多くなった気がするな。

今回の怪我で強く思ったことが3つある。

 1 人の生活なんて、ある日突然変わること

 2 自分が思っている以上に、
   自分は多くの人に支えられて生きていること

 3 無くしてはじめて気づくことがあるなら、
   無くすことも不幸ではないということ

転んでもタダでは起きぬ。僕は今日も元気です。