No.1390 「すき間」を埋めたがる人間たち

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モノが2つ以上あると、必ずそこに「間」ができる。
世の中にたくさんモノがあふれていることを考えれば、
その間とはそんなに広いものではなく、「すき間」程度のものだろう。

人間がバランスをとりたがる生き物だからか、
僕らはそんな「すき間」さえ埋めたがる。

ポケットティッシュや、
電車の吊革にまで広告を載せるなんて、
なんだか笑えるよね。

「すき間」とは、人間の視点から言うと「盲点」だから、
そこに商売のヒントやお宝が眠っているという理屈もわかる。
でも、一方で、このまま「すき間」が埋められ続けていけば、
どうなるんだろうと少し不安。

その昔、日本が今のように区画整理されていない時代、
街には必ず「路地」というものがあった。
メインストリートを少し入ると、家と家とのわずかなすき間に、
車やバイクが走らない“人間だけの道”があったのである。

でも、今では車道ばかりで、
路地を見つけることさえ難しくなった。
交通標識の立っていない道が、なんと少ないことか。

比較的路地が残っている京都や江戸の下町が、
それだけで観光名所になってしまうほど、人間の道は減っている。
「すき間」はこのまま減り続けるんだろうか。

「すき間」を見つけて何かに変えることは、
人間だけが成し得る高等な活動だとは思う。
事実、そうやって人間は素晴らしい文化を生みだしてきたわけだし。
でも、このペースでどんどん人間が
「すき間」を埋めていくのが、やっぱり少し怖い。

最近では、国と国の間にある海まで、
奪い合いが始まっているそうな。

「すき間」が減っていくのを防ぐには、
新たなモノを生みだして、新たな「すき間」を作るしかないのか。
でも、それをやるには、この世はモノが多くなりすぎた。

お墓参りの代行サービスが流行っているけど、
いずれはお葬式の代行まで始まるのかなぁ。

「すき間」には、モノを介入する必要がない、
それなりの意味がある気もするけれど。