No.4736 必要な無駄話

雑貨屋とカフェ。
 
昔はこの2つを巡るのが
休日の趣味のようなものだった。
 
どちらにも共通して言えることは、
店主の好みが色濃く出ていること。
 
「ここのオーナーはレトロが好きなんだな」とか、
「北欧に憧れているんだな」とか、
他人の趣味の空間にどっぷりと浸って
生活を疑似体験するような時間が心地よかった。
 
当時買って帰った雑貨は、
そのままではきっと殺風景であっただろう
僕の一人暮らしの部屋をいつも賑わせてくれた。
 
生活必需品とは真逆で
別になくても困らないものばかりだったけど、
少なくとも僕の中ではガラクタではなかった。
 
そう、言わば「必要な無駄」だった。
 
今、僕やみんなの暮らしが
どこか乾いているのだとしたら、
おそらくこの無駄が足りなくなっているんだと思う、
 
大人って賢くなるにつれて、
色んな無駄を削いでしまうんだよね。
効率的に、上手に、無駄なく生きようとするから。
 
でも本当は、全部無駄を削っちゃダメなんだ。
 
世の中、意味がないことにこそ
実は本当の意味があって、
意図的にでも必要な無駄は残さなきゃ。
 
言葉次第かもしれないけれど、
それは「バッファ」であり、「隙間」でもあり、
「余裕」であり、「潤滑油」であり、
何より「楽しみ」である。
 
お金を払って無駄を手に入れること、
それが本当の贅沢だと思うよ。
もちろん、無料なら最高だ。
 
このおはなしもどうでもいい無駄話に
聞こえるかもしれないけれど、
必要な無駄話になればうれしい。