No.2732〜2735 入学式の前日、息子を襲った緊急手術
●今日のおはなし No.2732●
先週の水曜日。
夕方前に、
会社のベランダで
公園の桜を見下ろしながら、
「明日の息子の入学式、
桜、咲いてくれるかなぁ〜」
と独りごとを言っていた時のことだった。
突然、ポケットに入れていた
携帯電話が鳴りだした。
発信元は「公衆電話」。
一瞬、「ん?」と思ったけど、
直感的に嫁からの電話だと思って取ったら、
声の主はやっぱり嫁。
ただし、
いつもの声とは様子が違った。
「いっ…、いま…、大丈夫?」
「大丈夫やけど、どうしてん?
息切らせて。しかも公衆電話からやし」
「あのな…、○うた(息子)がな…、
ケガして…、全身麻酔で…、手術することになって…」
「えっ!?」
「今から…、すぐ…、帰ってこれへん?」
突然のことで言葉も出なかった。
胸の高鳴りを抑えつつ聞き直すと、
息子が友だちと公園で遊んでいた最中、
それなりに高い平均台の上から落ちて
腕を骨折したようだった。
嫁は、そんな時に限って
携帯電話のバッテリーが切れてしまい、
病院の公衆電話からかけてきたようだった。
ひとまず病院の名前だけ聞き、
「わかった。とりあえず病院から動くな」と返事をして、
会社をすぐに早退。
幼い自分の息子が
全身麻酔の手術を受けると聞いて、
慌てない親はいない。
電車に乗って家に向かう途中、
僕も冷静さを取り戻すことで必死だった。
「ったく…、そんなところまで
俺に似なくていいのに…」
ご存じのとおり、
僕も8年前ほど前に腕を骨折し、
同じく全身麻酔の手術を経験していた。
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だからこそ、それが決して
成功を約束されたものでないことは分かる。
それだけに、なんとも言えない切迫感を感じた。
「とりあえず、入院の準備物を用意して
病院に向かわなくちゃ…。
あと、嫁の携帯の充電器も」
おそらく手術は長引くであろうこと、
間違いなく夜通しそばにいなくてはいけないことは、
経験上分かっていた。
その後、一旦自宅に帰り、
病室で泊まれるように私服に着替えた後、
すぐに車で病院へ。
病院に到着すると、
個室の中で嫁と娘が座って待っていた。
「お待たせ。○うたは?」
「さっき手術室に向かったわ」
病室の中をよく見ると、
患者用のベッドは無くがらーんとしていた。
時計の針は17時過ぎ。
そこから、長い戦いが始まった。
●今日のおはなし No.2733●
息子が手術をしている間、
病室の中ではしゃぐ娘の隣で
嫁は終始深刻な表情をしていた。
僕は、少しでも嫁の気を紛らわせるために、
手術が成功した後の話をしようと思った。
「なぁ、手術が無事終わったら、
明日の入学式、行けるかな?」
「…難しいんとちゃう?
だって、前日の今、全身麻酔で手術してるねんで」
「まぁ、そうやわな…」
「あの子…、いつも大事なイベントの前に
何かをやらかすから、嫌な予感はしててんけど…」
嫁の言うとおり、これまでも息子は
大イベントの前になると
でかい病気したり、ケガをしたり、
悪運という意味で何かを“モッテる”子だった。
今回は、よりによって、
人生の晴れ舞台である入学式の前日。
ずっと楽しみにしていた息子の
気持ちを知っているからこそ、
嫁も辛そうだった。
そこから1時間、2時間、3時間が経過し、
時計の針が20時半を過ぎた頃、
さすがに娘も疲れてきてグズり始めた。
嫁も緊張が続いてか、その表情は疲れていた。
「腕の手術だけにしては…遅くない?
何か起きてなかったらいいけど…」
「もう、一旦家に帰り。
あとは俺が付き添うから」
「でも…、○うたが帰ってきた時に
私がいないと…かわいそうやし…」
「どっちみち、麻酔で眠ってるって。
そんなことよりも、コイツ(娘)を寝かせてから、
明日入学式に行ける準備をしておいて」
内心、翌朝
入学式に出席できる可能性が
ほとんど無いことは分かっていた。
それでも、完全に諦めたくはなかったし、
何よりそう言わないと
嫁はずっとその場で待っていただろうから。
自宅で用意してほしいものだけを嫁に伝え、
二人を帰した後、
ベッドもない静かな病室の中で
僕はただ、息子の生還を待ち続けた。
そこから1時間、1時間半が経過し、
僕もだんだんと不安になってきた頃、
ナースステーションにいた看護婦さんが
病室にやって来た。
「お父さん、今終わったみたいです。
主治医から説明がありますので、
こちらに来てもらえますか?」
看護婦に誘導されるまま部屋に行くと、
手術用の服を着たままの主治医が
レントゲンを見つめながら待っていた。
「あぁ、お父さん、ですか?
すみませんね。少し時間がかかりまして」
「いえ。で、息子は?」
「手術は成功しましたので大丈夫です。
腕を開いてみると思ったよりも複雑で。
こいつを見てもらえますか?」
その後、レントゲンで
息子の腕の骨を見ながら
詳しい説明を受けた。
色々専門用語も混じっていたけど、
僕はたまたま同じ腕の骨折経験があったので、
だいたいの内容は分かった。
「神経に損傷はないってことですね?」
「はい。指もちゃんと
動いていますので大丈夫です。
リハビリは必要ありませんが、
大きなワイヤーは3週間後、
あとの細いワイヤーが抜けるのは
夏ぐらいになりそうですね」
全治3〜4カ月。
僕ほどではないけれど、
そこそこのケガだった。
その後病室に戻り、
しばらく待っていると、
ベッドの上で酸素マスクをつけた息子が帰ってきた。
すでに意識は戻っているようで、
うつろな目で僕を見つけると
マスクの下から小さな声で話し始めた。
「おかあ…さんは?」
「先に帰したけど、また来るから大丈夫や。
今夜は、お父さんが一緒におるからな」
その後、
2〜3名の看護婦さんが部屋に来て、
抗生物質の点滴をセットしたり、
僕の簡易ベッドを用意してくれたりした。
息子は横たわりながら、
見たこともないその様子を
少し緊張した表情で眺めていた。
そして、すべての準備が終わった時、
さっき説明してくれた主治医が
息子の様子を見に病室にやってきた。
「お父さん、奥さんから伺いましたが、
明日、入学式なんですって?」
「ええ…。先生、
明日ってやっぱり…無理でしょうか?」
「う〜ん、明日ねぇ…」
息子の様子を見ながら、
腕を組んで考え始める主治医。
わりとダンディーな雰囲気の先生は、
何度か息子を触診して手の動きを確認した後、
僕の方を向いてこう言った。
「よし、明日
行けるようにやってみましょうか」
「えっ!? 本当ですか?」
「明日、出発は何時ぐらいですか?」
「ここを8時半に出れば間に合うと思います」
「8時半か(笑)、結構早いですね。
仕方ない。私は明日非番ですが、
朝7時半にこちらに来るようにします」
「すみません。ありがとうございます!」
「(隣にいた看護婦の方を向いて)
おい、点滴の管だけ目立たないようにできるか?」
「できると思いますよ。やってみます。
さぁ、○うたくん、明日学校に行こうね〜♪
お父さんも、今夜は大変だけど頑張って」
「本当に、ありがとうございます!」
主治医と看護婦の皆さんの厚意もあり、
翌朝の入学式に向けて
みんなで最善を尽くすことが決まった。
その時、すでに
時計の針は23時過ぎ。
約10時間後に迫った
幼い息子の晴れ舞台に向けて、
関係者が一丸となったプロジェクトがスタートした。
●今日のおはなし No.2734●
主治医と看護婦の皆さんが
病室から退室した後、
嫁に状況を知らせるためにメールを送った。
ベッドでウトウトしている
息子の写真を添付して。
嫁には「明日に備えて早く寝ろ」と言っていたものの、
きっと眠れずに心配していたのだろう。
案の上、すぐにメールの返信があった。
>ありがとう。無事で良かった。
短い言葉だったけれど、深い言葉だった。
息子の無事をずっと祈る
母親の愛のようなものを感じたし、
いつもは互いに馴れ合いで過ごしてしまっている
付き合いの長い夫婦の間で、本気で
「ありがとう」を言われたのは久しぶりだった。
それから、病院の皆さんが
入学式の出席に向けて協力してくれることを
メールで伝えた後、僕も少し仮眠を取るために
息子の隣の簡易ベッドで横になることに。
すると、
浅い眠りから目を覚ました息子が
僕に話しかけてきた。
「なぁ、おとうさん」
「ん? どうした?」
「“きょうのおはなし”は、なに?」
以前に少し話したこともあるけど、
休日に子どもたちを寝かしつける時には
いつも“きょうのおはなし”をしてやることにしている。
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まさか深夜の病室でも求められるとは
思ってなかったけど、息子のお願いどおり
“きょうのおはなし”をしてやることにした。
「今日はな〜、骨折の話や」
「○うた、ほね、おれてんで」
「おぉ、びっくりしたわ。
お父さんも昔、腕の骨を折ってんで。
知ってた?」
「えっ? そうなん?」
「お前が産まれる前の話やけどな。
野球でピッチャーをしてて、…」
骨折した瞬間の話、手術の話、
その後も嫁に心配をかけながらリハビリした話…etc.
そこからしばらく、僕の経験談を話してやった。
最初は興味深そうに聞いていたけど、
手術で疲れていたのか、
いつのまにか息子は眠っていた。
「さてと、これから始まる
“仕事”に備えて眠るか」
全身麻酔後の患者に何が起きるか、
2度も経験している僕には分かっていた。
たいてい、術後4時間は点滴が続いて、
その間は酸素マスクも外せない。
でも、意識が戻るにつれて
だんだん酸素マスクが鬱陶しくなってくる。
案の定、眠っては起きて
「これ、いやや!」と
酸素マスクを外そうとする息子。
僕は、息子がまたウトウトと眠った隙に、
酸素マスクを口元に持っていく。
午前2時ぐらいまではその繰り返しだった。
その後は「トイレ」。
口から水分は摂っていないものの、
手術中の点滴から入った水分が出てくるのか、
このあたりから無性にトイレに行きたくなるのだ。
ただし、点滴の管は外せないので、
点滴袋を持ってトイレまで行かなくてはならない。
息子にそんな芸当ができるわけもなく、
「おとうさん、おしっこ!」と呼ばれるたびに
何度も起きては点滴袋を持ってトイレをさせた。
そこからは、
突然ベッドの上で吐いた物の後処理をしたり、
蹴飛ばした布団をかけたり、
寝相の悪い息子の腕の位置を戻したり…。
そうこうしているうちに
いつの間にか時計の針は6時ぐらいになっていて、
気がつけば、カーテンの隙間から
朝の光が差し込んでいた。
「失礼しまーす。
はーい、○うたくん、おはよう♪
さぁ〜、入学式に行くよ!」
明るい声とともに
看護婦さんが病室に入ってきて、
体温と血圧の測定が始まった。
眠い目をこすりながら
病室のカーテンを開けると、
雲ひとつない青空が広がっていて。
なんとなく、
昨晩から続いたプロジェクトが
うまくいくような予感がした。
●今日のおはなし No.2735●
AM7:30。
看護婦の準備が整ったのを見計らって、
主治医が部屋に入ってきた。
「おはようございます。いい天気ですね」
「すみません。
非番なのに、ありがとうございます」
「いえいえ。さてと、どーれ?」
息子の腕を触診しながら、
動きや痛みを確認する主治医。
「○うたくん、これ痛い?」
「いたくない」
「これは?」
「だいじょうぶ」
「よし。まだ抗生物質の点滴もあるので
退院はさせられませんが、
“外出扱い”で許可を出しておきましょう。
式が終わったら、また戻ってきてくださいね」
「ありがとうございます!」
主治医のGoサインを聞いて
テンションが上がったけど、
むしろノリノリだったのは
看護婦の皆さんの方だった。
小さな骨折患者の噂は
ナースステーションでも話題の的だったらしく、
複数の看護婦が
「○うたくん、よかったね〜!」
「朝食用意するからね!」と喜んでくれた。
それからしばらくして、
入学式用のスーツに身を包んだ嫁が
娘を連れて病室に到着。
思ったよりも元気そうな息子の顔を見て、
嫁は安堵の表情を浮かべていた。
「さっき先生が来て、
入学式、行っていいってさ」
「ほんまに? 良かった」
そこから、看護婦と嫁が一緒に
息子を着替えさせている間に、
僕も急いでスーツ姿に変身。
8時半過ぎ、
たくさんの看護婦に見送られながら、
車で病院を出発した。
車で小学校に向かう間、
寝不足の息子はずっと後部座席で眠っていた。
バックミラーでその様子を見ながら、
「ケガして疲れているのに連れ出して、
やっぱりかわいそうだったかな…」と
少し複雑な気持ちにもなったけど、
入学式はこれから始まる小学校生活の
スタートラインでもある。
最初から欠席させることもできたけど、
どうしても他の子たちと
同じスタートを切らせてやりたくて、
なるべく後ろを見ないようにアクセルを踏んだ。
しばらくして、小学校の前に到着。
「平成25年入学式」という立て看板の前に
記念写真を撮ろうとする親子の行列ができていた。
「さすがにすごい人の数やな。
どうする? 並ぶ?」
「やめとこう。この子も疲れてるし」
本当なら正門の前で
記念撮影をしたかったけど、
長時間並ぶと腕を吊った息子にも負担がかかるので、
息子を先生に預けた後、
僕たち保護者はすぐに体育館へ入った。
「それでは、平成25年の入学式を始めます。
新1年生の入場です」
司会の先生の合図に合わせて、
二人一組で手をつなぎながら
次々と体育館に入ってくる新1年生。
「いちねんせい」の曲と
拍手が体育館に響き渡る中、
新1年生は皆、ネクタイを締めたり、
髪をセットしたり、晴れ舞台にふさわしい
ピカピカの格好で歩いていた。
その中で、シャツだけ羽織って三角巾で腕を吊り、
隣の子と手をつなぐこともできないうちの息子は、
他から見れば
かなりみすぼらしかったかもしれない。
でも、その様子を保護者席で見守りながら、
僕はじーんとこみ上げるものを胸に感じていた。
前夜からのドラマがあったおかげで、
なおさら感慨深く感じたのかもしれない。
「良かったな。おめでとう。おめでとう…」
そう何度も心の中でつぶやきながら、
カメラのシャッターを押した。
無事入学式が終わり、
クラスで集合写真を撮影する時も、
教室で先生のお話を聞いている時も、
息子はずっと険しい表情をしていた。
そりゃそうだ。
あまり寝てないだろうし、
腕だって痛かっただろうから。
それでも、
最後まで泣き言を言わずに頑張ったので、
教室で「さよーうなら」と解散した後、
頭を撫でて褒めてやった。
「おつかれさん。なぁ、○うた。
しんどいやろうけど、記念写真撮ろうか?」
「え〜、もぅかえる〜」
「1枚だけ撮ろうや」
「もぉ〜、1まいだけやで」
正門の立て看板の前には
あいかわらず保護者の行列ができていたので、
僕らはそこを避けて、
体育館の隣に咲いている
きれいな桜の前で写真を撮ることにした。
桜をバックにした入学式の写真。
笑顔の息子の隣で、うれしそうに立つ嫁。
以前からそんな写真のイメージを
何度も頭に描いていたけれど、
目の前にあったのはまったく違う光景だった。
息子は三角巾がズレて、服もよれよれで、
顔も元気がなくて険しかったから。
でもきっと、今日の写真は
いつまでも忘れられない思い出の1枚になる。
「○うた、この時、ひどい顔してるなぁ」と、
いつか写真を見て笑える日が来るはずだ。
そう信じながら、
何度もカメラのシャッターを押した。
「おかえり〜!○うたくん、おめでとう!」
式を終えて病院に戻ると、
看護婦のみなさんが
「おめでとう! 良かったね!」と喜んでくれた。
まるで、自分の子のことのように。
家族だけで祝うはずだった息子の入学。
いつのまにか、一緒に祝ってくれる人が
こんなにたくさん増えている。
「ケガは不幸だったけど、
実はこれはこれで、幸運だったんじゃないか」
病院の皆さんの優しい対応のお陰で、
改めてそう思うことができた。
突然のケガから手術、翌朝の入学式まで、
一夜のドラマの末に見ることができた
あの小学校の桜を、僕はきっと一生忘れることはないだろう。
病院の皆さん、
本当にありがとうございました。
息子は今日も、機嫌良く小学校に通っています。