No.781 極楽は心の中にある

心って波がある。
ざぶんざぶん、ちゃぷんちゃぷん、
いつもとめどなく揺らめいている。
 
高波の時は、サーフィンをするような
スリルがあって楽しい。
でも、やっぱりどこか疲れちゃう。 
なるべく穏やかな波でいたい。
日々そう思う。
 
ふと、自分に還りたくなった時、
寝る前に暗い部屋で窓を開け、
夜風に包まれそっと胸の前で手を合わす。
 
神様なんていない。
そう思いながらも、宗教のまねごとをして
心の波を落ち着かせるのだ。
 
昨日、たまたま島田紳助が
テレビでこう言ってた。
 
 
「仏教っていうのは、
 心の中に極楽があるという教えや。
 お墓なんてただの石にすぎないけど、
 それを拝むことで人の心に
 安らぎという極楽が生まれる。
 
 仏壇もそう。位牌なんて仏様でもなんでもない。
 でも、それを毎日拝むことで
 人の心がきれいになる。
 仏教とは神様ではなく、
 自分の心に向かってするものなんよ。
 
 仏壇に飾ってある花を見てみ。
 仏様(位牌)のほうじゃなく、
 拝む人のほうに花を向けてあるやろ。
 あれは人々の心に生まれる極楽に、
 花を添えましょうという意味よ」
 
 
紳助は、京都で過ごした学生時代に、
先生から仏教の本当の意味を教えられたそうだけど、最初は
 
 
 「何?極楽ぅ? どこよそれ?
  先生、今度修学旅行で極楽行こや〜」
 
 
とバカにしていたそうだ。
 
僕もそうだ。
宗教って、神様にヘルプを求める
他力本願的なものだと思って興味がなかった。
でも、そうじゃないんだね。
 
自分の力で、自分の心を綺麗にする。
心の波を落ち着かせる。
 
この先、生きていくかぎり、死が訪れないかぎり、
決して心の水面は平らにはならない。
自分の心と、どうつきあっていくか。
それを考えることは、とても大切なこと。
 
極楽は、地図をひらいても見つからない。
手を合わせてみれば、何かが分かる。
 
もちろん、宗教じゃなくだっていい。
 
近くの犬の頭を毎日なでてあげる。
コンビニのお兄ちゃんに「ありがとう」と言う。
道端に咲く小さな花を見て「がんばれ」って応援する。
 
幸せなことに心は誰にでもある。
自分でそれを変えられる。
 
意外と、身近に、簡単に。