No.513  公衆電話センチメンタル

公衆電話が減っているらしい。
ピークだった1984年には94万台あったものが、
今では71万台になっているのだとか。
 
言われてみてば最近、公衆電話で話す人を
あまり見かけなくなった。
原因はもちろん、1人1台電話を持つようになったからだろう。
 
このまま行けば、いずれ公衆電話はなくなるのかもしれない。
けれど、やっぱり公衆電話には
無くして欲しくない“味”がある気がするのだ。
 
うちの実家の電話は、家族みんなが集う
ダイニングルームにあった。
 
幼い頃は別に気にしなかったその場所が、
思春期になるととてもイヤになってくるもので、
中学の終わりぐらいから、
家で電話をかけるのをためらうようになった。
特に女のコにかける時には。
 
そこで頼りにしていたのが、公衆電話だった。
 
夜。
公衆電話で電話をかけるために家を抜け出す。
抜け出すのは意外とカンタンだった。
「ちょっと、走ってくる」と親に告げるだけ。
 
野球の練習ばかりしていた僕のその言葉を、
親は少しも疑わなかったから。
 
10円玉を数枚と、クラスの住所録から
好きな女のコの電話番号をメモした紙を手に握りしめ、
シャッターの閉まった市場の前にある公衆電話へと歩く。
 
暗闇の中にポツンと灯がついていて、
周りには誰の気配もしない、電話ボックス。
受話器をあげて、10円玉を2~3枚入れると、
「ツー」という音が聞こえてくる。
 
メモを見ながらゆっくりと電話番号を押すたびに、
高まっていく胸のドキドキ。
放課後に約束した「今晩10時に電話するから、出てね」という
言葉を思いだしながら、少し深呼吸。
 
「トゥルルル…」という呼び出し音。
緊張でどこを見ていいのか分からず、
たいてい少し汚れた公衆電話をじっと見つめていた。
 
「ガチャ。もしもし…」と、待っていた声。
静かな電話ボックスに、
10円玉が吸い込まれていく音が響く。
 
携帯電話に、
あの頃のセンチメンタルを感じることができるだろうか。
 
便利さを得るよりも、
ときめきを失いたくないと思う、今日この頃。