No.3306 線路のそばにあった家

空気が澄んでいるこの時期。

夜にベランダに出ると、
家からは少し離れているはずの
電車の線路や踏切の音が聞こえてくる。

それを耳にするたびに思うのだ。
「懐かしいなぁ」と。
 
 
今でこそ親は住んでいないが、
元々僕が生まれ育った実家は
電車の線路のそばに建っていた。

ガッツリ線路際というわけではないけれど、
窓を開ければ電車の乗客が見えるぐらいの距離。
引っ越した当初は、子ども心に
「プライベート丸見えじゃん」と思って
その立地環境があまり好きではなかった。
 
 
「線路が近いのも悪くないな」と
思えてきたのは、たしか高校に入った頃だったか。

中学で一緒だった奴らが
みんなそれぞれに選んだ高校へ進学し、
みんなで遊ぶこともほとんどなくなった。
携帯電話もない時代だったから、互いの近況もわからず。

それでも、たまに旧友と街で会うと、
こんなことを言われた。
 
 
 
 「オマエの家、いつも通学途中の電車から見てるで。
  部屋に灯りがついてるから、とりあえず
  元気で生きてるのはわかってるから」
 
 
 
それを聞いた時、
「なるほどなぁ」と思った。

僕の家の場所なんて、小中一緒の連中なら誰でも知っている。
そいつらは電車で僕の家のそばを通るたびに、
一瞬だけど思い出してくれているんだなぁと。

それからは、夜になっても
極力自分の部屋の雨戸は閉めずに、
なるべく外から灯りが見えるようにした。
「元気でやってるぜ」とサインを送る灯台のように。

僕が18歳で大阪に出た後、
灯りの消えた2階の部屋を見て
電車を使っていた旧友は何を感じただろう?
「アイツ、家を出たんだな。頑張れよ」って
近況を悟ってくれたりもしたんだろうか?
 
 
今、その家は両親が貸家にして
僕と同世代の見知らぬ家族が暮らしている。

もしかしたら、電車から
家の窓の向こうに浮かぶシルエットを見て、
僕が幸せな家庭を築いて暮らしていると
勘違いしている奴もいるかもね。

それはそれで、間違いだけど、正解だ。
線路沿いではないけれど、
僕は温かな灯りに包まれて生きている。