No.3999 牛丼屋での脱出ゲーム

それは、実に奇妙な光景だった。。。
 
昨晩、久しぶりに息子の練習があったので、
急いで飯だけ食おうと、仕事帰りに
牛丼屋さんに寄った時のことだ。
 
店内は19時前だというのにそこそこ混んでいて、
券売機でチケットを購入した後、
12ぐらいある席のうち、唯一空いていた場所に腰をかけた。
ここまでは、牛丼屋ならよくある光景だ。
 
ところが、何かがいつもと違う。
とりあえず出されたサラダを食いながら
コの字型になったテーブルをゆっくりと見渡したら、
数人の客と目が合った。
 
その目はすべて、何か僕に同情するような
とても悲しそうな目だった。
 
 
 
 「え…? 何…??」
 
 
 
なんとも言えない不気味な違和感が僕を襲い、
もう一度店内の状況を見渡すと、あることに気づいた。
 
サラダを食う僕以外の全員が、
静かにスマホを眺めていた。
一人残らず、全員が。
 
「まぁ、時代だしね」と最初は思ったけど、
次の瞬間、その状況に気づいた時には背筋が凍った。
 
全員が皆スマホを見ている。
つまり、誰一人として箸をつけていない…。
待てよ…、えっ…!?
 
「ハッ」と気づいてよく見ると、
10人以上待っている客の席には
料理が一つとして運ばれていなかった。
 
 
 
 「もしかして…、回ってないのか…」
 
 
 
牛丼屋といえば、ファストフードの代表格。
ファストとは「早い」、
そう、注文が早く出てくるから人気なのだ。
 
お昼時なんかに行列ができることはあるにせよ、
注文から数分でスピーディーに料理を提供して
大勢の胃袋に対応できる能力があるからこそ
長年広くサラリーマンに愛されている。
 
そういう意味で、牛丼屋の店内にいる客に
誰一人として料理が提供されていない状況というのは、
人生で初めての光景だった。
 
サラダを食い終わると、
見えていなかったものがさらに見えてきた。
 
厨房の中では、
ホール係のオッサンと調理担当の外国人が、
二人だけで慌しくテンパっていた。
 
客席では、僕と同じように
サラダだけ食べ終えて待ちぼうけている客が
5人ほどいた。
 
5分、10分、15分。。。
待てども待てども、
客席には一つの料理も出てこない。
 
皆スマホを見つめたいわけではないのに
スマホを触るしかないイライラした雰囲気が
店内に充満していた。
 
ため息も漏れ聞こえるようになり、
怒りが一周回ってか、呆れ笑いを始める人も。
 
僕が席についてから20分ほどした頃、
しびれを切らしたおじさんが声をあげた。
 
 
 
   「すみません。食券、もう返金してくれます?」
 
 
 
それは、神のような一声だった。
「そうか、その手があったか」という空気が伝わり、
そのおじさんに続いて2人ほどが返金して店を出た。
 
僕が入ってからでも20分以上経過していたから、
先輩たちはもっと待たされていたのだろう。
店を出るのも賢明な判断だと思った。
 
皆、同じ働く男として、
2人だけで店を回させられている店員に
どこか同情の気持ちもあったのだろう。
 
誰も店員に怒声を浴びせたりせず、
「ごめんね」という言葉を残して去っていった。
大阪も捨てたもんじゃないなと思った。
 
先輩にそこまで低姿勢な対応を見せられたら
僕たち後輩が怒るわけにもいかない。
「なんとかガマンしような…」
全員のアイコンタクトで不思議な一体感が生まれた。
 
 
 
 「でも、さすがにこれ以上は待っていられないな…。
  よし、僕も後に続こう」
 
 
 
そう思って、僕もテンパってる店員に
返金をお願いしようとした時、あることに気づいた。
 
返金せずに残っている客のテーブルには、
全員食い終わったサラダの皿が置いてあったのだ。
 
 
 
 「くぅぅ…そうか、
  定食のサラダを先に食ってしまった僕らは
  今さら返金できないのか…」
 
 
 
左斜め前の客席に座っていた爺さんと目が合い、
「兄ちゃん、そういうことだよ」と
諭すような目でアイコンタクトされた。
 
ようやくすべての状況を察したけど、
正直、気づくのが遅かった。
 
30分ほど待っているけれど、
料理が出てくるまでもう後には戻れない。
 
入店した時、
全員が僕に同情のまなざしをしていた理由も
ようやく理解できた。
 
店に入ったのはさっきの出来事のはずなのに、
とても遠い昔のことに思えた。
 
 
 
 「30分前の俺は、何も考えていなかった…。
  飯を食うことしか…。俺としたことが…」
 
 
 
牛丼屋で飯を食うのは当たり前のことなのに、
事前に罠に気づけなかった自分に対して
なぜか軽い自責の念がこみ上げてきた。
 
そうこうしているうちに、
返金して帰った客の席にまた新しい客が座り始めた。
 
僕はその客に、
目一杯悲しい表情で視線を送った。
 
 
 
「そう、僕はもう先輩なのだ。
 これから入店してくる後輩のために、
 アラートを鳴らさなくてはいけない」という
妙な使命感がこみ上げてきて。
 
それから、
3人ぐらい新しい客が席についた頃だったろうか。
ようやく厨房から料理が出始めた。
察するに、おそらく30分ぶりの提供だったと思う。
 
一人、二人、少しずつ
先輩たちに料理が提供され始めたのを見て、
帰りかけていた客も「ようやくかよ」という
苦笑いを浮かべて座り直した。
 
しかし、その時だった。
悲しい事件が起きたのは。
 
3番目に出てきた料理が、
なぜか先輩ではなく僕よりも後輩、
さっき来たばかりの客のもとに運ばれたのだ。
 
想像を超えたまさかの光景に
一瞬、あ然とする店内。
 
もちろん、料理を出された一番新しい客は
そんな順番など知らないので、
普通に料理を箸をつけようとした。
 
それを見て、
最初から一番落ち着いて大らかに構えていた
僕と同年代ぐらいのサラリーマンが声をあげた。
不気味に、笑いながら。
 
 
 
  「ハハ…、いやいやいや、
   それっておかしくないですか?
   順番とか関係ないんですか??
   こっちは30分以上も待ってるのに…」
 
 
 
なんとか怒りを抑えながら訴える男性に、
全員がいたく同情した。
「そのとおり、君の言うとおりだ」と。
 
ただ、ホールのオッサン店員は
まともな日本語が通じそうな相手ではなく、
「すみません!早く作れるものから急いで作ってますので!」
の一点ばり。
 
そのわりに、結構卵とかがトッピングされた
複雑な盛りつけの料理が提供されていたから、
そのサラリーマンは頭がおかしくなったかのように
「ダメだこりゃ」と笑いながら店を後にした。
 
盛大な順番抜かしを前にして、緊迫する店内。
 
その空気に異常を察したのか、
僕の一つ後に入ってきた後輩、
20代のサラリーマンが
隣から僕に恐る恐る話しかけてきた。
 
 
 
  「すみません…、
   もしかして…皆さんめっちゃ待ってます?」
 
 
 
僕は、自分が入店してから
さっきのサラリーマンが店を出て行くまでのドラマを
2分程度にまとめて説明してあげた。
 
すべてを聞き終えた後、
ひょっこりはんに似たその若いサラリーマンは
「ひぇ~」という顔をしたけど、残念ながら
彼もサラダを先に食ってしまっていた。
 
それから、入店後40分を過ぎて、
ようやく僕の料理が運ばれてきた。
 
「先輩、良かったっすね」という顔で
料理の到着を祝ってくれるひょっこりはん。
「ありがとう。お先に」という顔をして、
僕はようやく料理に喰らいついた。
 
ちなみに、なんてことはない
「豚バラ焼肉定食」だった。
 
そのわずか1分後、
なぜかひょっこりはんの料理は
すぐに運ばれてきてバツが悪かったけど、
40分待った料理を3分程度で食べ終えた後、
まだ料理を待ち続ける後輩たちに
「お先に失礼します」と一礼して店を出た。
 
店の外に出ると、
もうすっかり辺りは暗くなっていた。
 
腹は少しふくれたけれど、
胸には何だかぽっかりと穴が空いたままで。
 
向かいから美味そうな香りを漂わせてくる
マクドナルドのネオンが、
傷ついたハートに優しく沁みた。