No.857〜859 結婚 〜挙式当日〜

●今日のおはなし No.857●

 

12月7日。挙式当日の朝。

寝不足の目をこすって窓を開けると、
昨日の雨が嘘のように晴れていた。
ほんと、嘘のように、気持ちよく。

準備をしてからタクシーで式場へ向かう。
到着すると、早めに着いていた数名の親戚から、
「おぉ、Sちゃん、おめでとう!」と
お祝いの言葉を浴びせられた。

 「今日は遠いところありがとう」

照れながら軽く会話を交わし、控え室の扉を開けると、
「あ、新郎さん、おはようございまーす」という声。
笑顔で迎える数名のスタイリストに囲まれ、
彼女のヘアセットがすでに始まっていた。

鏡に映る彼女の姿をしばしぼっーっと見つめた後、
我に返りタキシードに着替える。

さっきまでスニーカーを履いていた姿とは別人のように、
だんだんと新郎らしくなっていく自分の姿。

うん、エエ男や。
っちゅーか、今日はエエ顔してる。

彼女の準備が終わると、介添人に付き添われながら
「風詩の教会」に案内された。
なんでも、挙式の直前リハーサルの前に、
神父さんから“カウンセリング”なるものがあるとかで。

教会=外人神父だと思っていたので、
メガネをかけた校長先生風の老人が
やって来たのがかなり面白かった。

  「キリスト教には、やらなけらばならない、
   やってはいけないという決まりはないんだよ。
   だから、緊張しなくても大丈夫。あなたたちの式だから。ね。」

そうか、自分たちの式だもんな。

いつのまにか力が入っていたのか、
神父さんの言葉を聞いて、気持ちが軽くなった。

カウンセリングが終わり、神父さんが部屋から出ていった後、
僕たち2人はしばらく黙って、
教会の窓からさしている穏やかな木漏れ日を見つめていた。

 「晴れて、良かったな」

   「うん、おじいちゃんが晴れさせてくれてん」

孫娘の花嫁を見たいと言いながら、
先々月にこの世を去った、彼女のおじいさん。

見せてあげたかった。見てほしかった。
純白のドレスに包まれた、彼女の姿を。

いや、見てくれているのかな。
この青く澄んだ空の上で…。

  「(コンコン)失礼します。
   新郎さん、新婦さん、
   じゃあ、そろそろいきましょうか」

そして、僕たちは結婚を誓った。
たくさんの人と、たくさんの自然と、
たくさんの光に見守られながら。

 

●今日のおはなし No.858●


披露宴が始まる前、僕たちは
緑あふれるガーデンの上に立っていた。

カーテンの向こうの披露宴会場から聞こえる
ボサノバジャズの生演奏と、
お越しいただいた皆さんの楽しそうな笑い声。

同じく席に座っている両親の姿を想像し、
「この後、“あれ”を見たら、親父とオカンはどんな顔をするだろう」
それが楽しみで少しワクワクしていた。

  「それじゃ、そろそろスタンバイをお願いします」

先導してくれる係の人について、
カーテンの前まで静かに足を進める。

会場の照明が暗くなったのか、
中もいつしか静かになっていた。

そして次の瞬間、曲が流れだした。
どうやら始まったようだ。

実家に帰った時、
こっそり親の若かりし時の写真を持ち出し、
この日のために用意した「シネマティック プロローグ ビデオ」が。

親の結婚から、僕たちの誕生、
そして、今日という日を迎えるまでの時を
たくさんの写真を使って紹介したビデオ。

お越しいただいた皆さんはもちろん、
両親はじーんとしながら観ているだろうか。
足下の芝生を見つめながら、じっと入場の時を待つ。

  「もうすぐビデオが終わります。さぁ、いきましょうか」

さぁ、いよいよ。

jazzバンドによるスティービーワンダーの
「You are the sunshine of my life」が始まると同時に
カーテンが開く。

入場して一礼。

うまくは言えないけど、
色んな人への感謝の気持ちをこめて、深く深くおじぎをした。
席を1周した時、親族席に座っている人たちの目が潤んでいた。

高砂席に戻った後、僕から開宴の挨拶。

自分で「やる!」と言いだしたことなのに、
何を話すかを本当に何も考えていなかったから、
心にある言葉をそのままマイクに向かって話した。

 「ここ万博記念公園は、ご存じのとおり
  1970年に万国博覧会が開催された地でして、
  さきほどのビデオでも若かりし日の両親が
  万博の前で撮った写真が流れておりましたが、
  ここは、親にとっても青春の象徴ともいうべき思い出の地であります。
  その地を、子供たち2人が結婚の場として選んだのも
  運命だと思いますので、本日は親子2代にわたる思い出の地で
  皆さんと一緒に楽しい時を過ごせたらと思っております。
  どうぞよろしくお願いします」

そして、乾杯とともに
忘れられない披露宴が始まった。

 

●今日のおはなし No.859●

 

乾杯が終わって席につくと、ちょっと気分が楽になった。
なんだかんだ言って力が入っていたんだろう。

両家それぞれの親族代表のスピーチが終わり、
たくさん注がれたビールで少し酔いがまわってきた頃、
高校時代の親友2名によるスピーチが始まった。

なんだかんだで10年来の付き合いになる2人の話は、
実に僕という人間をよく理解した内容で、
隣にいた嫁は何度も笑っていた。

僕も苦笑しながら聞いていたけど、
途中、僕が高校時代に彼らに書いた
励ましの手紙を読まれた時は、
僕の言葉を10数年も大切に持っていてくれたことに、
少し感動してしまった。

いったん退場し、
嫁のお色直しを待って再入場。

披露宴の後半は、
気持ちよく緑の映えたガーデンに出て
みんなでケーキを食べたり、なぜか胴上げごっこをしたり、
約1名芝生の上でヘッドスライディングを披露したり。

大学の友人に頼んだ余興では、
ボサノバジャズの代わりに
うる星やつらの「ラムのラブソング」が流れだしたり、
わりとにぎやかな雰囲気だった。

  「皆様、楽しかった披露宴もそろそろお開きの時間を迎えました。
   ここで、新郎新婦よりそれぞれのご両親に、
   花束とプレゼントの贈呈がございます」

ふとまわりを見ると、いつのまにか照明が暗くなっていて、
向こうの壁には、スポットライトを浴びた
それぞれの両親が立っていた。

嫁が両親への手紙を読んだ後、
2人で花束とプレゼントを持って、
ゆっくりと両親のもとへと歩み寄る。

まずは、うちの両親へ。
オカンには嫁から花束を、
親父には、僕からプレゼントを手渡した。

渡す瞬間、
直立した親父に向かってこう言った。

 「ありがとうございました」

親父は深く頭を下げ、
リボンに飾られた額に入ったその詩を読んでいた。

僕は、なぜかその時、
親父の顔を見ることができず、
嫁の両親に花束を渡しに足を進めた。

…不思議と、その後の記憶があまりない。

花束贈呈の時にうしろで流れていた「上を向いて歩こう」も、
最後の自分のスピーチも、親父の挨拶も。

たぶん、退場の時には
ルイ・アーム・ストロングの「Wonderful World」が流れ、
両親と僕たちが一緒に披露宴会場を後にしたんだと思う。

披露宴が無事終わり、二次会で騒いでいた時、
友人からこう言われた。

   「おまえのおっちゃん、めっちゃ泣いてたな」

耳を疑って何度も聞いた。

 「まじで!?」

   「え、プレゼント渡してる時、泣いてはったやん」

…そっか、泣いてたか…。

プレゼントを贈ろうと決めた11月、
何を贈ろうか真剣に悩んだ。
これまで親に対して無愛想に生きてきた息子が、
感謝の気持ちを表す方法とは何が良いのか、と。

悩んだ末、僕が贈ったものは一つの「詩」。

書くことしか能がない息子にできることは、
言葉を贈ることぐらいだと思ったから。

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    魚釣り

  糸がからまり 父想ふ

  大物釣れて 母想ふ

  遠く離れているけれど

  潮の香りに 郷を知る

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僕が生まれた時に買ったという
アルバムの1ページ目に、
オカンの字でこんな言葉がある。

  「産まれてきてくれてありがとう。
   これからはお父さんの
   釣りの相手になってあげてね おかあさんより」

小さな頃からずっと、海のそばで育った。
日曜日には明石の海に親父と釣りにいき、
たくさん魚を釣ってオカンに誉められた。

いつしか親父と言葉を交わすことが減り、
一緒に釣りにいくこともなくなり、
気がつけば、僕は家を出て、一人、大阪で暮らしていた。

そんな頃だったと思う。
ある時、妙に釣りに行きたくなった。

そして、潮風のなか海に糸を垂らしながら、
ふと心に浮かんできたのが、この詩だった。

親は詩を見て、何を感じたのか。
今の僕には分からない。
「泣いていた」という事実しか。

今年の年末、
嫁を連れて実家に帰る。
その時に、思いきって聞いてみようと思う。

親から巣立つまでの28年、
迷惑も心配もたくさんかけたけど、
最後ぐらいは「素敵な息子」だと思ってくれたかどうかを。