No.1605〜1607 息子が初めて海と会った夏

●今日のおはなし No.1605

「今年の夏は、息子に海を見せてやるんだ」。
そう思ったのは5月ごろ。

それからしばらく、僕は行き場所に悩んでいた。
選択肢として挙げた候補地は2カ所。
大好きな「沖縄」か、わりと近場の「和歌山」。
夏休みの宿泊予約がギリギリの7月上旬まで迷っていた。

結局、「息子は飛行機で耳抜きもできないだろう」ということで、
和歌山の宿をとったのが7月中旬。
結果的にその選択が正しかったとわかったのは、
旅行初日の朝だった。

8月20日、月曜日。
和歌山に向けて高速道路を走っていると、
息子の横でたまたまワンセグTVを観ていた嫁が
大きな声をあげた。

「うわっ! 那覇空港、えらいことになってるで」

運転しながらチラッと画面を見せてもらうと、
なんと、でっかい航空機が炎上しているではないか。

そう、例の中華航空の爆発事故。
沖縄行きを選択していれば、あの時間、
間違いなく僕たちも那覇空港にいた。
あの場にいたら、きっと飛行機も遅れ、
旅行のスケジュールも変わっていただろう。

一昨年の夏休みは風速58mの台風に巻きこまれたけど、
その瞬間、今年の夏休みは、なんとなくツイている気がした。

それから車で3時間ぐらい走っただろうか。
地図で見るよりは、意外と早く宿に着いた。

宿は、白良浜のある人気スポットから南へ約10km、
「椿(つばき)」という場所にある古い旅館。

白良浜周辺のホテルよりも安く、人も少なく、
子連れで落ち着いて泊まれそうなので、
行き先が和歌山に決まってすぐに申し込んだ宿だ。

部屋の窓を開けると、海が見えて、
周りには地元の小さな商店が1軒あるだけ。
それ以外、特に何もなかった。
何もなかったけど、そんな場所を望んでいたんだ。
海が見える場所で、少し、ゆっくりしてみたかったから。

しばらく外を眺めていたら、
部活帰りらしき地元の女子高生2人が商店の前に自転車をとめた。
そして、まるで自分の家の冷蔵庫を開けるかのように慣れた手つきで、
「あっつーい!」と叫びながらアイスを取り出していく。

「おばちゃん、ただいまー!」、
そう言って店の中でお金を払う女子高生。
そんなのどかな光景がどこか懐かしかった。

しばらく部屋で休憩した後、
日本100選に選ばれたという夕焼けを眺めながら温泉に浸かり、
海の幸がいっぱいの部屋だし料理を食べる。
ベビーフードが主食だった息子にも少しご飯を分けてやると、
とてもうれしそうな顔をした。

その後、テンションが上がって部屋を這い回ったからか、
夜、息子はこてっと眠った。
疲れていたのか、ついでに嫁も。

浴衣のまま窓を開けてベランダに出ると、
暗い海の上に月光が揺らめいていた。

何もない宿の、何もないベランダでしばらく潮風に吹かれ、
その夜は気持ちよく床についた。

 

●今日のおはなし No.1606●

(昨日の続き)

和歌山旅行2日目。

朝、目覚めて窓を開けると
ベランダの向こうに真っ青な海が広がっていた。

「よーし、○うた君よ。
今日はアドベンチャーワールドに行って、
そのあと海を見に行くぞ」

ぽかんとした顔で見上げる息子に朝飯を食わせ、
車で白良浜方面へ出発。
朝からはしゃぎすぎたせいか、
車に乗り込んで数分後に息子は寝てしまった。

「あらら、どうしよ」

「とりあえず、少しドライブでもしよ」

ベビーシートですやすや眠る息子を乗せ、
三段壁方面の海が見える道をしばらくドライブ。
思えば、嫁と二人で白浜を走るのは久しぶりだった。

「そういえば、
付き合った初めの年に白浜に来たよなぁ」

12年ほど前、学生だった僕らは
白浜へ1泊2日の旅行に来た。
「写真は捨てられるから」という理由で
写真を撮られるのが嫌いだった当時の嫁は、
旅行先であまり一緒に写真を撮らせてくれなかった。

息子が寝ているそばでそんな昔話をしながら、
途中、車を停められる展望台に少しだけ停車し、
海をバックに二人で写真を撮った。

あの頃は、まさかこんな風に
父と母という立場になって白浜で写真を撮るなんて
思ってもみなかったけど。

しばらくしたら息子が起きたので、
「南紀白浜アドベンチャーワールド」にGo。

サファリの動物たちを見てまわれるケニア号に乗せたら、
さぞかし息子は興奮するだろう、、と思っていたんだけど、
我が息子はライオンやキリンさんには目もくれず、
なぜか木陰で揺れる草ばかりを指さして
「がぁがぁぁ!」と興奮していた。

その後行ったイルカのショーでは、
水しぶきが怖くて泣きじゃくり。
ペンギンさんを見にいく頃には、息子はぐーすか眠っていた。

「よーし、仕方ない。そろそろ海に行くか」

予定より早めにアドベンチャーワールドを出て、
砂浜に向けて車を走らせた。

息子にとっては初めての海。
まるでそれを祝ってくれているかのように、
夏空は雲ひとつなく晴れわたっていた。

 

●今日のおはなし No.1607●

(昨日の続き)

「さぁ、海に行くぞ!」

アドベンチャーワールドを後にして車で数分。

白良浜近くのコインパーキングに車を停め、
息子を抱いて砂浜へと向かった。

足を進めるたび、だんだんと真っ白な砂浜の向こうに
大きな青が見えてくる。

「ほら、○うた、あれが海や」

日射しが眩しかったせいかもあるかもしれないが、
息子は眉間にしわをよせながら
初めて目にする青い物体をじっと見つめていた。

少し怖かったのか、その手はしっかりと
僕のTシャツを握りしめていた。

熱くなった砂浜を歩き、波打ち際まで近づくと、
息子が握りしめるその手はさらにかたくなっていった。

そして、

「ぇ、ふぇ…、ふぎゃぁぁ!」

波の音に驚いて、突然泣き出す息子。
予想はしていたけど、少し笑った。

波から離れると、少し泣きやんで、
真っ赤な目のまままた険しい表情で海をにらむ。
めちゃめちゃ逃げているくせに、
いっちょまえに逃げずに闘っているようで、なんとなく愛らしかった。

昔、おはなしでも書いたことがあったけど、
「子どもができたら海を見せよう」というのは
ささやかな僕の夢だった。

あの時書いたおはなしのとおり、
息子が産まれた時に買ったカメラで
泣いている顔をパシャパシャ撮影。

描いていたイメージが目の前で現実になっていく瞬間、
なんとなく心がじーんとした。
「きっと、今日のことを息子は覚えていないだろうけど、
それでいい。いつか話そう」って。

海との初対面を終え、宿へと戻った頃には夕暮れ時。
風呂に入り、部屋でゆっくり飯を食っている間に、
空には三日月が輝いていた。

食後の休憩がてら、息子を抱いてベランダへ出る。

「ほぉら、お月さんだよ」と夜空を見せてやると、
息子はまるで「あれが食べたい」とでも言うように
月を指をさしてはしゃいでいた。

月明かりは、いつまでも優しくベランダを照らしていた。

家族3人、初めての旅行。
今振り返っても思い出はたくさんある。
きっと忘れるであろう息子といつかこの旅の話ができるように、
写真はアルバムに貼って大事にしまっておこうと思う。