No.5119 人生という執行猶予期間

「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」
という映画がある。
 
男女の夫婦の在り方を描いた深い映画作品なんだけど、
自殺未遂を図った主人公の男性を
精神科医がたしなめるシーンで、こんなフレーズが出てくる。
 
 
 「時々想像するんだ。
  私という人間は、
  もう死んでいるんじゃないかって。
 
  死んでいるけれど、
  一度だけ息を吹き返した間に逃走している。
  執行猶予期間のようなもの。
 
  人生って、そんな猶予期間の繰り返しじゃないか」
 
 
この映画の主題は夫婦愛なんだけど、
夫と妻の言葉よりも
なぜか僕はこの精神科医のフレーズが印象に残った。
 
「人生」って
言葉にするとスケールが大きくて、
なんだかとても特別感があるんだけど、
実際はそうじゃないよね。
 
「昨日食べた魚フライが熱かった」とか、
「さっきタンスの角に指をぶつけた」とか、
そんな些細なシーンの繰り返しが人生だったりする。
 
執行猶予期間か、いい表現だな。
 
人間、どれだけ抗ってもいつかは必ず死ぬ。
死の執行は避けられない。
 
ただし、猶予はあるから、
それまでの間に、
少しだけ自由にさせてもらえる時を
精一杯好きに楽しむ。
 
そんな短い猶予期間を
何度も何度も繰り返して、
僕らは少しずつ歳を取り、
やがて生涯を終えるのだろう。
 
「人生100年」と言われたら
長いマラソンのようでサボりたくなるけど、
「執行猶予100年」と言われたら、
猶予があるうちに何かをせずにはいられない。
 
所詮、この体は期限付きの借り物だ。
その感覚だけは忘れたくないね。
 
だからこそ、男女も親子も、
いつまでも同じ場所に止まっていては
いけないのだと思う。