No.3849 1日が2時間増えたなら

例えば、1日が2時間増えたなら、
息子はサッカーゲームに興じ、
娘は上級生レベルの勉強問題を
ひたすら解き続けると思う。

嫁はコーヒーを飲みながらドラマを見るか、
ゆったりと昼寝をしそうだな。

僕はたぶん、
相変わらず何かを作るか、空想にふけるか、
人に会いに行くだろう。
 
 
人間にとって時間の価値は違う。
時間の使い方もそれぞれだ。

何もしなくてもいい時間に、何をするのか。
「空き時間」の使い方には、
その人が深い部分で持っている
譲れない欲求のようなものが表れる。
それこそ、まさに人格や本能が。
 
移動中の電車の中では、
ほとんどの人がスマホを見つめている。

みんな同じに見えて、
スマホで何をしているかは人それぞれ。
ある人は音楽を聴き、ある人は何かを読み、
またある人は何かを調べる、といった具合に。

閉ざされた空間の中に
様々な欲求が同居している静かな車内は、
一見ドライなようで
なんだかとても人間臭い。

同時に、自分と同じように
ずっと言葉を綴っている人を見ると、
ちょっとした親近感を感じることも。
 
 
1日が2時間増えたなら、
今の君は何をするのかな?

もしも同じ電車に乗って一緒に旅をしたら、
君は何かを読むのか、歌うのか?

その時、
それぞれ一人でやりたいことがあっても
お互いに話したくなる関係がいいな。 
空き時間に会いたいと思えたなら、
その関係はホンモノだ。

大人だもんな。
会いたいと願うだけじゃなく、
自分の魅力は自分で作ろう。

「2時間あったらアイツに会いたい」、
そう思われるような人間でありたい。

こんなジトジトした雨の日にでも、
ちょっと涼しい風が吹くような
おはなしが送れたらいいな。
今日も、明日も、いつまでも。