No.1281&1282 おばあちゃんが 僕を 忘れてしまう前に
●今日のおはなし No.1281●
心が揺れ始めたのは、月曜の朝だった。
会社に行くために眠い目をこすって地下鉄に乗っていると、
オカンから携帯メールが。
>暇をみつけて■をいれてくれる?!
ん? ■をいれる?
おそらく何か特殊な変換文字を使ったのか、
「■」が化けていて読めなかったので、
気にはなったけどひとまず放っておいた。
すると、昼前ぐらいに、
今度は姉から携帯メールがやってきた。
>おばぁちゃん、ついに認知症がはじまったらしいわ。
突然の知らせとはいえ、驚いた…。
胡麻のおばあちゃんとは、父方の祖母のこと。
このおはなしでも「70を過ぎても工事現場で働く
タフなおばあちゃん」として紹介したり、
何名かの皆さんは実際に会わせたことがあると思うけど、
とにかく元気なおばあちゃんだったのだ。
そんなおばあちゃんが…。
おばあちゃんのことが大好きだった僕は、
仕事をしながらもショックを隠しきれなかった。
姉のメールによると、おばあちゃんは先日入院し、
どうやら入院している間に認知症が発覚したとかで。
親父もショックを受け、オカンも疲れているようだった。
きっと、オカンはこのことで
「電話」を入れてほしかったんだろう。
少ししてから、平静を装って姉に「了解」と返信。
しばらくすると、また姉からメールがやってきた。
>お母さん、S(僕)が家族の中で私の気持ちを
>一番ほぐしてくれるって少し前言ってたわ。
短いこのメールには、ぐっとくるものがあった。
うちの家族の中では、やっぱりいつも姉がリーダーで、
姉は常に正しい道を選択し、親を安心させている一方で、
僕はといえば、やれバイトでバーテンダーをやるやら、
やれ広告業界で働くやら、やれ沖縄に行くやら、
いつも親に不安ばかり与えている存在だった。
結婚した今でも、やっぱり
親孝行ができていない自分を感じていたし。
姉の言葉、
いや、姉に教えてもらったオカンの言葉は、
そんな僕の気持ちを真っ白にした。
うまくは言えないけど、
長男であることをやっと実感できた気がした。
午後からホテルで取材が入っていたので、
そこにいくまでの道中で携帯からオカンに電話をすることに。
「もしもし、」
「ああ、ごめんなぁ」
その声は、少し疲れていた。
「聞いたよ。おばあちゃんのこと。」
「お姉ちゃんから? ホンマか。
いや、日に日に記憶がなくなっていっててな…。
そんな中でもな、アンタの名前だけ何度も呼ぶんよ」
…。携帯電話を持ちながら泣きそうになった。
オカンの話によれば、
他にも自分の子供や孫もたくさんいるのに、
僕のことだけは忘れずに名前を呼ぶとかで。
その画を想像しただけで、胸が痛くなった。
「わかった。今一番仕事が忙しい時期やから
すぐには無理やけど、早いうちに病院行くわ」
「ほんまに。ありがとうな」
電話を切った後、ずっと心がざわざわしていた。
15歳の冬、高校受験に合格したことを
尊敬していたおじいちゃんに知らせるのを後回しにし、
友だちと打ち上げパーティーにでかけてしまった僕。
その日、おじいちゃんは他界し、
「ありがとう」を言えなかった。
今を生きる。
おじいちゃんの死は、
その瞬間を大切に生きることの大事さを教えてくれたけど、
後悔の念は、今でもずっと続いていた。
悪さばかりして親に怒られていた小さな僕を、
おばあちゃんは
「男の子はそれぐらいゴンタやないとアカン」と
笑って守ってくれた。
同じ後悔はしたくないから、
明日、会社に休みをもらって行こうと思う。
というわけで、先にいっておきますが、
明日はおやすむ。
●今日のおはなし No.1282●
金曜日、会社に休みをもらって京都の病院まで。
高槻から亀岡まで車で峠を抜ける道中、
空はだんだんと暗くなり、冷たい小雨が降ってきた。
病院に向かう途中、
子供のころおばあちゃんと一緒にいったスーパーがあったから、
店の中にある小さな花屋でお見舞い用の花を購入。
病院に着いたのは正午過ぎ。
駐車場に車を停めると、
病棟の入口でオカンが待っているのが見えた。
「おつかれさん。遠かったやろ?」
笑って出迎えるオカン。
頭の中はおばあちゃんのことでいっぱいだったのに、
オカンの髪が少し白くなっているのを見て、
心配がまたひとつ増えた気がした。
「おばあちゃん、今日は調子がいいみたいでね、
夜は少し記憶がなくなることもみたいやけど、
今は普通に話せるみたいよ」
病室に入ると、
おばあちゃんはベッドから起きあがって
食事をしている最中だった。
「おばあちゃん、久しぶり。
腰の骨 折ったって? 」
そう声をかけると、
おばあちゃんは照れくさそうな顔で笑った。
「サイドボードとケンカしたら、
サイドボードが勝ちよってな」
苦笑いでこたえるおばあちゃん。
良かった。元気そうで。
僕のことも、
ちゃんと覚えてくれているようだし。
「一昨年に会って以来やのぉ。
こんな所まで、かんにんやで」
「気にせんでエエって。
はい、綺麗な花を買ってきてあげたで」
袋から花を取り出すと、おばあちゃんは
しばらくその花の色をじっと見つめていた。
「エエ香りやなぁ。ありがとう」
しばらくおばあちゃんの体調について話していると、
親父がビニール袋を片手に病室にやってきた。
「おおS、ご苦労さんやの。
売店でパンとおにぎり買ったから、あっちで食うぞ。
お母さんとSは来い。おばぁはそこで待っとけ」
相変わらず不器用な物言いで、
せわしなく病室を立ち去る親父。
ったく、僕にそっくりじゃないか。
談話室に移動し、親父とオカンと3人で軽い昼食。
話題は、おばあちゃんの病状と施設のこと、
これからかかる費用のことだった。
「よし、今からワシとお母さんは介護認定の申請をして、
施設の見学に行って来る。オマエはワシらが戻ってくるまで、
しばらく、おばぁの相手をしとけ」
またせわしなくビニール袋をしまい、
仕度を始める親父。
化粧を直そうとするオカンを引っ張りながら、
両親たちはあっという間に病院から消えた。
仕方なく一人で病室に戻ると、おばあちゃんは
食事を済ませてくつろいでいるところだった。
「S、見てみ。あのおばあさんはワタシより
2つ上なだけやねんけど、もうヤバイで」
ベッドを少し起こし、頭の後ろで両手を組みながら、
リゾートスタイルで他の患者を観察するその様子は、
話を聞いてイメージしていたよりもずっと元気で、
なんだか少し笑えた。
「思ったよりも元気そうやん」
「いや、アンタのお父さんがおらんかったら、
ホンマにどうしようかと思ったわ。
ヤッさん(=親父)は、ああ見えて優しいからな」
それからしばらくの間、
僕に子供が産まれることや姉のこと、
親父の兄弟のことなど、
静かな病室の中でいろんな話をした。
時間を忘れて話していたけど、
1時間ぐらいたった頃だっただろうか。
「あ、降ってきよったな」
おばあちゃんの目線を追って後ろを振り返ると、
窓の外にひらひらと粉雪が舞い始めていた。
きっと同じ事を思っていたのだろう。
その光景を、おばあちゃんと僕は
しばらく黙って見つめていた。
「雪も降ってきたし、もうエエよ。
ワタシは大丈夫やさかい。
お父さんとお母さんの所に寄ってから、帰り」
「わかった。元気でおりや」
そう言って、おばあちゃんに布団をかけ、
ゆっくりと立ち去ろうとした時、
おばあちゃんが最後にこう言った。
「お母さんを、大切にしいや」
短い言葉だったけど、
なぜ「お父さん」でなかったのか、
僕にはちゃんとわかっていた。
おばあちゃんは、親父たちの母として
息子がいてくれる有り難さを感じていたんだと思う。
「お父さんのようになれよ」、僕にはそう聞こえた。
病棟を出て、
駐車場で車のエンジンが温まるのを待っていた時、
病室の窓から看護婦さんと話している
おばあちゃんの姿が遠くに見えた。
なんて言うんだろう。
もしかしたら最後になるかもしれないその光景から
僕はなかなか目を離すことができず、
アクセルも踏まないまま、しばらく駐車場で佇んでいた…。
こうしてお見舞いを終え、
今、僕は大阪にいる。
行ってよかったと思う。
行かなきゃ、やっぱり後悔してたし、
おばあちゃんからの助言を聞くこともできなかった。
今はまだ、自分の中でいろんな気持ちがあって、
ここでうまく書くことはできない。
でも、一つ言えることは、
「大切な人は、大切にしよう」ということ。
最後に、励ましのお言葉をくださった皆さん、
ありがとうございました。