No.1342 僕らの1000日戦争 〜「中学校」という戦場〜

たまに、昔のことを振り返ったりするけれど、
中学時代の記憶があまりない。
いや、ないというよりも、思い出したくないんだろう。
 
12歳。
入学式にバイクが乱入してからというもの、
中学校というところは、まだ幼さが残る僕たちにとって
まるで“戦場”のようなところだった。
 
強者と弱者が明確に決められ、
少しでも気を抜いたら、弱者の仲間に入ってしまう。
 
特に男子の場合はそうで、弱者にならないために必要な
「建前のコミュニケーション」を体で覚えたのもこの時期だった。
 
たまにクラスメイトの姿が見えないと思ったら、
トイレで顔から血を流して倒れていたり、
クラスには必ず一人はいるいじめられっ子が
廊下の横のベランダで丸裸にされて閉め出されているのを見るたび、
僕たち平凡な少年は「あぁはなりたくない」と何かに怯えていた。
 
ただただ、強いやつと仲良くしたり、
ヤンキーの先輩に「その短ラン、カッコいいっすね」と
羨望の眼差しをおくる…フリをするのが精一杯だったのだ。
 
ガラスの破片を歩くような中学の1年間は、
小学校時代のそれよりもずっと長く感じられ、
中学1年生の終業式を終えた頃には、
「あと2年もここで生きていけるのか…」、
真っ暗な人生と直面してため息をついたのを覚えている。
 
どんな純白のシャツでも、泥水で洗濯すれば汚くなるように、
1年も経つと、仲の良かった友人もどんどん変わっていった。
 
髪が長くて女のコよばわりされていた
ちびっこ&泣き虫な奴は、ヤンキーチームの歩兵の仕事を得てからというもの
肩で風を切って廊下を歩くようになり、
野球部に一緒に入った頃が明るく優しかった奴も、
いつしか髪の色を変え、不登校ぎみに。
 
たまに会ったら「なんかほしいモンない? 安く売ったるで」と
変なビジネスをすすめるだけになっていた。
 
友人だけじゃない。僕も変わった。
 
今でこそ言葉を使うことが好きな僕だけど、
言葉がキライになった時期があったとしたら、
たぶんこの時期だったと思う。
 
いろんなことを見て、感じていても、
中学校の冷えた校舎の中では
何かを言うのが怖くて、虚しくて、しんどかった。
 
ただ、カレンダーを早くめくりたくて、
早く何かから抜け出したかったんだと思う。
 
 
中学という場所が、自分の中で急に変わったのは
3年生になってからだ。
 
最上級生としての余裕もあったと思うが、
2年間戦場で生き抜いてきた自信もあったからだろう。
その頃には、次第にみんなの顔が穏やかになっていった。
 
毎日のように起きていたケンカ観戦も、次第に機会が減り、
昼休みにクラスメイトと外へ出ることが多くなった。
 
中学最後の卒業式の日の出来事は、
今でもちゃんと覚えている。
 
僕らの担任だったイカツイ体育教師(別名「赤猿」)が、
胸に花をつけた僕らを前に、教壇で泣いた。
 
 
 
 「おめでとう、先生うれしいわ…」
 
 
 
と。
それを見て、僕らも泣いた。
 
先生に何度もケンカをふっかけていた番長も、
スカートの丈を何度も怒られて、
頬をビンタされた女の子も。
 
あの時、長い長い、何かが終わった気がした。
 
生き続けるよりも死ぬほうが楽だと思っていたけど、
「生きよう」という希望が生まれたような気がした。
 
 
大人になって、あの頃をあえて振り返ることはあまりない。
ただ、もがき、苦しみ、
戦い続けたあの時の自分がいたから、
今、前に前に歩ける自分がいるのだと、たまに思う。