No.2858 他界した伯母の言葉


先月末、伯母が亡くなった。

ということを、
昨日オカンから知らされてショックだった…。

連絡が遅れた理由は色々あるけれど、
それはまた後で話すとして、
訃報を聞いて浮かんでくるのは
幼い日に世話になった出来事だった。


初めて東京に行ったのは、
東京で働いていた伯父が結婚した時。

生まれて初めて新幹線に乗り、
結婚式というものに甥として初めて参列した。

伯父が結婚した相手は
少し年下の細身の女性で、子どもながらに
「おっちゃん、きれいな女の人つかまえたな」
と思ったのを覚えている。
そして、花嫁さんはその日から僕の伯母になった。


2度目に東京に行ったのは、
その伯父と伯母の家に遊びに行った時。

新幹線が停まる西明石駅まで親に送ってもらい、
姉と僕の二人だけで、初めて遠方までお出かけをした。
今から30年弱前、1985年のことだ。

1985年を覚えているのには理由がある。
伯父と伯母が、当時、筑波で開かれていた
国際科学技術博覧会(EXPO’85)に連れていってくれたから。

翌日にはディズニーランドにも連れて行ってもらい、
兵庫県の小さな遊園地しか知らない僕たちにとっては
忘れられない夢のような思い出になった。


その時のことは今でも鮮明に覚えてるんだけど、
もう1つ残っている記憶があって。
伯父と伯母の暮らしていた家だ。

伯父と伯母の家は、いわゆる
昭和のニュータウン団地の一室だった。
特別広くもなく、
日当たりもよくなかったと思う。

子どもながらに
「都会で頑張って暮らしてるんだな…」
と感じたけど、そんな僕らを
伯父と伯母は
自分の子どものようにもてなしてくれた。

断片的ではあるけれど、
その部屋で感じた空気や優しさ、
東京の街の雰囲気が胸に残っている。


思春期に入ってからは
親族の集まりに顔を出すことも減ったので、
伯父や伯母と会うのも
数年に一度になった。

直近で会ったのは、
去年おばあちゃんが他界し、
その後、夏に納骨をした時だったと思う。

葬儀の時も納骨の時も、
長男の嫁である伯母は
色々と厳しいことを言われていた。
「こういうのは長男の嫁がやらなアカンねんで」とか。
http://sunnyyellow.ciao.jp/ohanashi/1836

北海道出身で、穏やかな性格だった伯母は、
伝統やしきたりを重んじる
京都生まれの親族から浴びせられる言葉を
いつもニコニコして受け止めながら謝っていた。

伯母の体にガンが見つかり、
いきなり「余命半年」と宣告されたのは、
それからわずか数カ月後のことだった。


それから約1年。
宣告された期間よりは長く生き、
伯母は先月末、静かにこの世を去った。

葬儀は、親族すら呼ばない家族葬。
「皆さんにこれ以上迷惑をかけたくない」
というのが、伯母の遺言だったそうだ。

甥にあたる僕への知らせが遅くなったのも、
そんな理由があった。


普段離れている人が亡くなった時、
亡骸も見ていないせいか、
どうしても他界したという実感がない。

変な話だけど、
「死んだんだ」ということを
自分に言い聞かせるために、
このおはなしを書いている。

僕は、亡き伯母のために
何かできるんだろうか?
そう考えると、
1つの言葉だけが甦ってくる。

おばあちゃんの葬儀の時に、
伯母が僕に言った言葉だ。



 「○○君(=我が子)も、
  S君(=僕)みたいにしっかりしたらいいのに。
  この子に、色々教えてやってね」



伯母には二人の息子がいて、
下の子はおばあちゃんの葬儀の場で初めて会った。

まだ成人したばかりで、
黒いネクタイの締め方がわからず、
僕が代わりにネクタイを締めてやって。
それを見た伯母が
笑顔で僕に頼んだ言葉だった。

その子は、面識さえ薄いけど
一応僕の従兄弟にあたる。

何が教えられるのかはわからないけれど、
親族として、男として、
教えられる部分は教えていこうと思う。