No.2607 「リトル沖縄」と呼ばれる大阪市大正区
沖縄になかなか行けない僕だけど、
大阪にもリトル沖縄がある。
大阪市の大正区だ。
最近では、都市部のどこでも
沖縄料理屋を見かけるようになったけど、
やっぱり本当の味は大正区でしか味わえない。
そりゃそうだ。
大正区の住民の4分の1が
沖縄県出身者なんだから。
「なぜこんなに
たくさんの沖縄人が大阪に?」と
たまに聞かれるけれど、
その理由は100年ほど昔までさかのぼる。
第一次世界大戦の終戦以降、
西欧諸国がアジアに進出してきたことで
日本の輸出は激減。
そこに、関東大震災や世界恐慌が重なって、
日本中が不景気になった。
ただでさえ近代化が遅れ、
重い負担を強いられていた沖縄は深刻な状況に。
食べるものすらなくなって、
毒性のある野生のソテツを食べるしかなく
死人が相次いだことから、この時の不況は
沖縄で「ソテツ地獄」と呼ばれている。
ソテツ地獄の間、
沖縄から仕事を求めて
多くの人が海を渡った。
行き先は海外、そして本土。
本土へ渡ったほとんどの人が
当時紡績業が盛んだった阪神地区
(今でいう大正区から尼崎あたり)に移住したという。
そんなわけで、
大正区には沖縄人が多いんだけど、
その理由はあまり知られていない。
恥ずかしながら、僕も
ちゃんと知ったのは大人になってからだった。
沖縄の学校では、
ここらへんの話も含めて
近代史をきちんと教えているという。
僕らは…、
少なくとも僕が中高生の頃は、近代史なんて
卒業までの日数が少なくなった頃に
ざっと飛ばして教えられる程度だった。
やっぱり、
本土と沖縄の差はあるね。
本土はあいかわらず
歴史といえば「大昔話」が好きで、
NHKの大河ドラマもちょんまげ時代ばかり。
せいぜい、坂本龍馬の時代までか。
それはそれで大切だけど、
僕らが本当に学ばなくてはいけないのは
1900年以降の歴史のような気がする。
自分の親や、
その親の歴史さえ知らない僕たちが、
これからの自分の歴史を語れやしないだろう。
そんなわけで、数年前から
団塊世代である親の話をよく聞いている。
昭和のことさえ知らなかった、
バカな自分を反省する。